編集会議で話し合う森口(左)や山口(左から2人目)ら=長崎市目覚町、長崎の証言の会事務局

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被爆74年 被爆地の叫び 長崎の証言50年・4完  伴走者 迫る刻限 変わらぬ使命

2019/08/09 掲載

編集会議で話し合う森口(左)や山口(左から2人目)ら=長崎市目覚町、長崎の証言の会事務局

 被爆者への聞き取り、原稿執筆、被爆講話、碑巡り案内。「長崎の証言の会」メンバーはこの夏も多忙だ。「体力的には若い人にそろそろ代わってほしい」。事務局長の森口貢(82)は苦笑いを浮かべる。
 証言の会創設者の鎌田定夫(故人)は「不偏不党」を掲げた。創刊時から、被爆者とそうでない人が手を取り合って運営してきた。運営費の大半は「長崎の証言」の売り上げと寄付金のほか、講話や碑巡りの講師料で賄っている。
 1997年から7年間、事務局長を務めた末永浩(83)は「自分たちの利益のためではなく、核兵器廃絶のために多くの人が尽力した。だから50年も続けられた」と語る。
 「長崎の証言」は50年間で75集が世に送り出された。被爆体験だけでなく、核兵器廃絶や平和運動を巡る時評のほか、文芸作品など多様な要素を収め、被爆地長崎の動きを記録する貴重な資料となった。
 これまでに収録した証言は約2千人に上る。ただ、被爆者の平均年齢は82歳を超え、証言を聞き取ることのできるタイムリミットは迫ってきている。
 2014年から編集長を務める山口響(43)は「まだ体験を語っていない被爆者は多い。被爆者の多様な体験を記録し、目の前の問題と向き合っていく使命は変わらない」と強調する。
 一方で被爆者なき時代の在り方も模索している。その一つが戦後史だ。証言の多くは「被爆の体験」であり、被爆者や2世らが戦後をどう生き抜き、どのように被爆者運動に関わってきたのかは、あまり記録されてこなかった。
 山口は、当時証言の会代表委員だった廣瀬方人(故人)が13年に設立した「長崎原爆の戦後史をのこす会」の事務局を引き継いでいる。「戦争を知らない世代がどんな運動をできるか議論していきたい」と今後を見据える。
 証言の会は今年、平和運動に功績があった個人や団体に贈る「秋月平和賞」を受賞した。授賞式で森口は「原爆を語れる人は少なくなっているが、これからも反戦反核のために証言する」と誓った。
 核廃絶を願う被爆地の叫びは長崎の証言を通じて世界に発信されてきた。今秋には第76集を発行予定で、メンバーはさらに先を見据え、新たな証言の掘り起こしを進めている。50年前、鎌田の情熱から始まった被爆者に寄り添う“伴走”は、これからも続いてゆく。
(文中敬称略)