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被爆74年 被爆地の叫び 長崎の証言50年・3 <思想化> 反戦・反核の思い育成

2019/08/08 掲載

 「長崎の証言の会」事務局長の森口貢(みつぎ)(82)は「会の目的は単に被爆体験を集めることではない」と言う。「戦争や被爆を二度と繰り返してはならないと思ってほしい。戦争はなぜ起こったのかを考えてもらうことも大切だ」
 証言の会の根底には、創設者の鎌田定夫(故人)が提唱した「被爆体験の思想化」という理論がある。森口は「思想化」について「被爆者の証言を自分の体験と重ね、反核や反戦の思いを持つこと」と解釈している。
 被爆していない人や子どもたちに、どうやって被爆者の思いを伝えるのか。「体験の思想化」に結び付けようと、証言の会は1983年、いち早く「原爆碑巡り」の活動を始めた。
 7月23日、長崎市の山王神社。爆風で片方の柱が崩壊した「一本柱鳥居」の前で、10人の中学生に語り掛ける森口がいた。
 「爆風や熱線はどっちから来たのか。自分の目でよく観察して考えてほしい」。生徒たちは鳥居を見詰め、原爆が落ちた当時に思いを巡らせた。
 約2時間余の行程で、森口は案内板に記されていない被爆の実相を伝え続けた。平和公園では、原爆俳人の松尾あつゆきや被爆詩人の福田須磨子の作品を紹介し、被爆者や遺族がどれだけ苦しめられてきたのかを語った。
 「碑巡りはただの観光ではない。見るだけでなく何が起きたのかを想像してほしい。これから戦争や原爆について自分でしっかり調べてほしい」。森口の口調が熱を帯びた。
 もう一つ、証言の会が先駆けとなった活動に在外被爆者の調査と支援がある。
 鎌田は75年、韓国に渡って在韓被爆者の医療状況などを聞き取り、同年に発行した「長崎の証言」の特集として12人の証言を取り上げた。韓国人だけでなく、中国人やオランダ人被爆者の存在に光を当て、戦争の全容を考えようと日本の加害責任の問題にも切り込んだ。
 在外被爆者支援連絡会共同代表の平野伸人(72)は「在外被爆者という言葉自体が知られていなかった時代に渡韓して調査した。証言の会の先見性と行動力は高く評価されるべきだ」と言葉に力を込める。
 平野は80年代に入り、在外被爆者の問題に取り組んで鎌田に続いた。「計画を立てて突き進んでいく姿勢は私たちの模範になった」と振り返る。(文中敬称略)