戦後70年 ながさき 赤とんぼの海へ 波に散った若者たち 3

沖縄戦で犠牲になった兵士や住民の鎮魂と平和を願って建立された小禄地蔵尊に合掌するレイコ・クルックさん=沖縄県豊見城市、海軍壕公園内

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戦後70年 ながさき 赤とんぼの海へ 波に散った若者たち 3 「少女の記憶」胸に合掌
焼却された 憧れの文明

2015/06/17 掲載

戦後70年 ながさき 赤とんぼの海へ 波に散った若者たち 3

沖縄戦で犠牲になった兵士や住民の鎮魂と平和を願って建立された小禄地蔵尊に合掌するレイコ・クルックさん=沖縄県豊見城市、海軍壕公園内

「少女の記憶」胸に合掌
焼却された 憧れの文明

作家のレイコ・クルック(80)=仏パリ在住=は10歳のとき、生まれ故郷の諫早市小野島町で終戦を迎えた。戦時中、近所に国立の民間パイロット養成施設「長崎地方航空機乗員養成所」があった。全国から集まった10代の若者らが、複葉の九三式中間練習機(通称・赤とんぼ)で訓練に励んでいた。

のどかな農村でのびのびと育った好奇心旺盛な少女にとって、空を飛ぶ「赤とんぼ」の音は「唯一の文明の音」。養成所の飛行機やパイロットに無邪気に憧れた。しかし戦争末期、「赤とんぼ」は迷彩に塗られ、特攻に使われる。

偶然に見てしまった特攻兵の慟哭(どうこく)や、終戦の混乱の中で目撃した憧れの「赤とんぼ」が焼却される光景は衝撃的だった。70年を経ても、忘れられないつらい記憶として胸に刻まれている。

「一農村の少女が体験した戦争の記憶を、少女の視点のままで書き残しておかなければ」そんな思いで、初めての小説「赤とんぼ 1945年、桂子の日記」(2013年、長崎文献社)を出版した。

ことし5月下旬、沖縄を訪ねた。「赤とんぼ」ゆかりの地を巡り慰霊した。

5月27日、豊見城市の海軍壕公園で開かれた小禄地蔵尊慰霊祭(元沖縄海軍航空隊ら有志主催)など、二つの慰霊祭に参列した。沖縄戦で犠牲となった兵士や住民の冥福を祈った。

翌28日、作家の古川薫らと、海上自衛隊那覇航空基地のP3C哨戒機で、慶良間諸島を訪ねた。70年前、養成所のパイロットのお兄さんに乗せてもらった「赤とんぼ」が散華した海に、機上で手を合わせた。

29日には、宮古島で開かれた第3次龍虎隊(赤とんぼ特攻隊)の慰霊祭(元龍虎隊員ら有志主催)に参列した。しめやかに僧侶の読経が流れる中、酒や果物が供えられた祭壇に線香を手向けた。参列者は報道関係者も含め10人余り。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)の影で、赤とんぼ特攻隊の存在は忘れられようとしている。

「若い特攻兵たちが、どんな思いで飛んだのか。海が美しいばかりに悲しみもひとしおでした。赤とんぼの御霊(みたま)に合掌できて安堵(あんど)しました」