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核大国に挑んで =NPT会議ニューヨーク報告= 5
被爆展示は「ノー」

2005/05/25 掲載


被爆展示は「ノー」

「機体の下の弾倉が口を開いたままになっているのが、どうにも生々しくて。見た途端、原爆で死んだ身内の顔がふっと頭に浮かんだ」。被爆者の広瀬方人さん(75)=長崎市=は、その爆撃機との”再会”をこう振り返る。

広瀬さんら「地球市民長崎集会実行委員会」派遣団の一行十人は五月四日、ニューヨークでの活動後、オハイオ州デイトンに足を延ばした。ライトパターソン空軍基地内の米空軍博物館に展示されている長崎原爆の投下機、B29「ボックスカー」を視察するためだ。

巨大な機体に鮮やかな黄色で描かれた愛称のペットマークには、原子雲と神社の鳥居のイラスト、それに「NAGASAKI」のローマ字が添えられている。「きっと、後で書き足したんでしょうね」(広瀬さん)。「WWⅡ(第二次世界大戦)を終わらせた航空機」―。機体のそばの看板の赤い大きな文字が、原爆投下を正当化する米国の論理を雄弁に物語っていた。

博物館の館長と面会した広瀬さんらは、まず「被爆記録写真集」を手渡した。「原爆投下の被害をボックスカーと併せて展示してほしい」と求め、資料提供などの用意があることを伝えた。だが、元空軍少将の館長は、通訳を受け持っていた派遣団のメンバーの言葉を聞き終わらないうちに答えを返してきた。「ノーだ。この館の趣旨に合わない」

面談は、半ば一方的に打ち切られ、自国の論理を曲げない核大国の”壁”だけがむなしく残った。応接室を出ると、悔し涙があふれ出た。

五十歳ぐらいの女性教師に引率された子どもたちの見学グループに出会ったのは、その後だ。どうしても黙っていられずに夢中で話し掛けた。

「ナガサキで、どんなことが起きたか聞いてほしい」。いとこと叔母と仲良しの友人が死んだ、人口の三分の一の七万人がたった一発の爆弾で命を奪われた、どんなにむごいものだったか想像してくれないか―。

教師は、迷惑そうな顔を隠さず、「時間がないから」と話を途中で遮った。ただ、少し年長の生徒が歩み寄ってきて「サンキュー」と右手を差し出した。

「行って良かったと思ってますよ」。広瀬さんは言う。「あの正当化の論理を打ち破らないと、米国の市民が大統領に核兵器廃絶を迫る日は、きっと来ないのだから」