被爆地の思い抱いて
 =高校生1万人署名から= 4

7月、実行委員会で意見を述べる鳥巣智行君。「署名活動を通し、確実に成長できた」=長崎市平野町、長崎原爆資料館

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被爆地の思い抱いて =高校生1万人署名から= 4 変 化
「最初の目的はテレビ」

2001/08/07 掲載

被爆地の思い抱いて
 =高校生1万人署名から= 4

7月、実行委員会で意見を述べる鳥巣智行君。「署名活動を通し、確実に成長できた」=長崎市平野町、長崎原爆資料館

変 化
「最初の目的はテレビ」

「最初はテレビに映ることが目的だった」

鳥巣智行(18)=長崎西高校三年=は屈託のない笑顔で参加の動機を話した。しかし、マスコミの注目を集めるのは活動の呼び掛け人である石司真由美(17)と宮原司優子(17)の二人。コメントを求められるたび、「本心じゃない」と思いつつ、「自分たちが何かやらないと」と並べたかっこいい言葉は、放送ではほとんどカットされた。「面倒くさくなり、何度もやめてしまおうと思った」と言う。

「どうしても二人が注目を集めてしまうが、周囲で支える“力”がなくては活動の成功はあり得ない」。四月、平和公園(同市松山町)で街頭活動をしたときのこと、発足時から活動をサポートしてきた平野伸人(54)はメンバーに語り掛けた。「心を見透かされたようで、複雑な心境だった」

発足時約十人だったメンバーはそのころ、約四十人に膨張していた。それと裏腹に活動自体は頭打ちになっていた。必死にメンバーをまとめようとする石司の姿に心打たれた。

小、中、高校と児童、生徒会長を経験、まとめ役の大変さは知っていた。「周りで支えてくれる人たちがいたから自分はやってこれた。石司さんを助け、ムードメーカーとして実行委を盛り上げよう」。平野の言葉は鳥巣の心に響いていた。

その後、他校の親友四人に協力を依頼し、短期間で約千五百人分の署名を集めた。鳥巣は照れくさそうに実行委で報告した。「おれじゃなくて友達が―」と、何度も繰り返した。沈滞ムードが漂っていた実行委は一気に沸き上がった。

「『平和』という重いテーマに加え、一人ひとり回って集める署名は大変。自分も最初、面倒くさいと思い、興味が持てなかった。それを友達が支えてくれた」。活動の、そして鳥巣自身の気持ちの“危機”を救ってくれた親友たちにこたえるためにも「一万人を絶対に達成する」と決意を新たにした。

「署名活動を通し、確実に成長したと思う」。六月、長崎市平和会館(同市平野町)であった「ながさき平和大集会」で、堂々と自分の気持ちを語った。「大阪で起きた校内児童殺傷事件。見ず知らずの人の死なのに涙があふれた。命の貴さ、平和の大切さが身近な出来事として考えられるようになった」 このころ、テレビカメラは全く気にならなくなっていた。(文中敬称略)