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核抑止に向き合う 長崎から問う被爆国の針路・3 【非核三原則】 依存と表裏一体「国是」

2023/08/02 掲載

 「国際的な核の脅威に対し、わが国の安全保障はアメリカの核抑止力に依存する」。1968年1月30日、佐藤栄作首相(当時)が国会で答弁した。前月の67年12月11日に「核兵器を持たず、つくらず、持ち込ませず」の「非核三原則」を表明したばかりだった。
 「国是」とされる非核三原則などが評価され、後にノーベル平和賞を受賞する佐藤首相。▽核軍縮への努力▽米国の核抑止力依存▽核エネルギーの平和利用-を合わせ「核政策の4本柱」として打ち出した。国是は米国の「核の傘」依存と表裏一体だった。
 長崎大核兵器廃絶研究センターの初代センター長、梅林宏道さん(85)は「佐藤首相が打ち出した政策のポイントはむしろ米国の『核の傘』依存だっただろう」と指摘する。
 当時の日本は広島、長崎への原爆投下に加え、54年に米国の水爆実験で日本のマグロ漁船が被ばくする「第五福竜丸事件」が起き、反核世論が高まった。一方で「少なくとも核武装の選択肢を残すべき」という保守強硬派も存在した。
 米国、ソ連(当時)、英国、フランスに続き、64年に核実験に成功した中国が核兵器を保有。米国が核拡散への懸念を深める中、翌65年の日米首脳会談で佐藤首相はジョンソン米大統領(当時)から「自衛のため米国の核抑止力を必要とすれば、提供する」と口頭で約束を取り付けた。
 日米安全保障条約の問題などが絡み、「核の傘」依存を鮮明にしたい日本と、核の拡散を防ぎたい米国の思惑が一致した-。福島大の黒崎輝教授(国際政治学)はこう見方を示す。
 一方で黒崎教授は「非核三原則表明には国内の反核世論が強く働いた」とする。当時の自民、社会の2大政党による「55年体制」で日米安保などを巡り激しく対立する中、黒崎教授は「社会党が反核世論の『代弁者』となり、自民党も無視できなかった」と語る。
 日本は70年、核兵器保有を米国など5カ国に限定する核拡散防止条約(NPT)に署名。それでも核オプションを温存したい保守強硬派や、NPTが原子力の民生利用に足かせをはめると懸念する原子力関係者の慎重意見は根強かった。
 75年に当時の三木武夫首相とフォード米大統領が公表した「日米共同新聞発表」で「米国の核抑止力は、日本の安全に重要な寄与を行う」ことを確認。米国が「核の傘」を文書で担保したことで障害の一つがクリアされ、日本政府が「核軍縮・不拡散体制の礎石」と表するNPT批准が76年に実現する。