この場所で… 刻まれた原爆の記憶 5(完)

座ったまま亡くなっていた少女のことなどを電鉄原爆殉難者の碑の前で語る和田さん=長崎市平野町

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この場所で… 刻まれた原爆の記憶 5(完) 電鉄原爆殉難者の碑 (平野町)
和田耕一さん(87) =長崎市江里町=
地下に座っていた少女

2014/07/30 掲載

この場所で… 刻まれた原爆の記憶 5(完)

座ったまま亡くなっていた少女のことなどを電鉄原爆殉難者の碑の前で語る和田さん=長崎市平野町

電鉄原爆殉難者の碑 (平野町)
和田耕一さん(87) =長崎市江里町=
地下に座っていた少女

長崎市平野町にある長崎電気軌道の電鉄原爆殉難者の碑。運転士や車掌として勤務して爆死した110余人を追悼している。ここに立つとあの日の身震いするほどの恐ろしさと、犠牲になった同僚たちのことを思い出す。

学徒動員で、市内を走る路面電車の運転士として勤務していた。18歳だった。蛍茶屋から大橋まで往復約1時間かかる道のりを担当。その瞬間は突然訪れた。

午前11時2分は通常なら大橋方面へ向かっている時間だが、賑橋付近で別の電車が脱線したため、しばらく蛍茶屋に待機していた。休憩室に入ろうとしたとき、爆音とともに外へ吹き飛ばされた。けがは軽く、何が起きたか調べようと線路沿いに大橋営業所へ同僚らと向かった。

たどり着いた浦上は地獄絵図。銭座から大橋まで建物と呼べるものはなく、見渡す限り平地。異臭が漂い、やけどで皮膚が垂れ下がった人であふれていた。営業所にたどり着くと、地下に1人の少女が座っていた。皮膚がただれた様子もない。生きていると思い、軍医がいる銭座国民学校へ連れて行ったが「この子は内臓がぼろぼろで、もう死んでいる」と言われた。宮崎県から車掌の仕事で来ていた当時12歳の少女だったと後で知った。

電車が通常運行していれば、私も死んでいたかもしれない。犠牲になった社員や同僚を供養するため1987年、代表を務める「長崎電鉄8月9日の会」で殉難者の碑を設置。毎年8月の慰霊祭で祈りをささげている。この場所を訪れると、あの日の死臭や死体、背筋が凍り付く記憶がよみがえる。でも死ぬまで訪れるつもりだ。偶然にも生き残った自分自身の使命だと思うから。