被爆70年へ 長崎の記憶 写真が語る戦前~戦後 第1部「父のアルバム」 2

囃子方の三角帽子などが確認できる龍踊り(島兵司さん提供)

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被爆70年へ 長崎の記憶 写真が語る戦前~戦後 第1部「父のアルバム」 2 「鯨」と「龍」 観衆を魅了
長崎くんち 後世につなぐ

2013/07/18 掲載

被爆70年へ 長崎の記憶 写真が語る戦前~戦後 第1部「父のアルバム」 2

囃子方の三角帽子などが確認できる龍踊り(島兵司さん提供)

「鯨」と「龍」 観衆を魅了
長崎くんち 後世につなぐ

秋を彩る諏訪神社(長崎市上西山町)の長崎くんちの写真。鯨の潮吹きに多くの視線が向けられている。

同市金屋町の島兵司さん(79)の亡父哲夫さんの古いアルバムに、龍踊りの写真とともに貼ってあった。兵司さんは「写真はいずれも私が生まれる前に父が撮影したもののようだ」と話す。つまり1934(昭和9)年以前。

鯨の潮吹きは、初奉納が1778(安永7)年とされ、今年の長崎くんちの出し物の一つでもある。奉納を控える長崎市万屋通り町会の顧問、市丸文弘さん(79)は「古い写真だね。見る限り、今と大きく変わっているところはなさそうだ」と話す。鯨は吹き上げた水でぬれるので毎回新調。木型の骨の上に竹で鯨の形を作り、その上にドンゴロス(麻袋)、黒い繻子(しゅす)を貼っていく昔ながらの手法という。

一方、龍踊りの写真は、5年前に奉納した諏訪町の総監督、山下寛一さん(59)に見てもらった。現在、龍踊りは諏訪、籠、筑後、五島の各町。諏訪町は1886(明治19)年から奉納している。

山下さんは、写真の龍踊りは諏訪町の可能性が高いとする。龍方の黒の衣装、玉使いが剣を持っていないこと、写真の右端の囃子(はやし)方が三角帽子をかぶっていることなどがその理由だ。

2枚の写真はアルバムの同一ページに貼っており、撮影時期は同じ年と考えられる。万屋町の鯨の潮吹き、諏訪町の龍踊りは1957年まで、太鼓山(樺島町)、龍船(西浜町)とともに同じ年に奉納していた。市丸さんは「根曳(ねびき)衆の足袋の色は(写真は黒だが)昭和11年から白になったはず」、山下さんは「囃子方の三角帽子は昭和4年までだと思う」と話し、写真は29(昭和4)年か、その7年前の22(大正11)年だろうということで一致した。23(大正12)年の関東大震災や、満州事変の発端となった28(昭和3)年の張作霖爆殺事件などがあったころだ。

山下さんは「衣装の細かい変化はありながらも、先輩たちはよく今につないでくれたと思う。この写真を見ると(出し物を)後世にしっかりとつないでいかなければと思える」と話す。