平和の石碑
 =ストーン・ウオーク同行記= 5(完)

笑顔で石碑を載せた荷車を引く前川さん=2日、長崎市内

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平和の石碑 =ストーン・ウオーク同行記= 5(完) 希 望
前川智子さん 長崎実行委代表
◆ 迷う背中 学生に押され

2005/07/11 掲載

平和の石碑
 =ストーン・ウオーク同行記= 5(完)

笑顔で石碑を載せた荷車を引く前川さん=2日、長崎市内

希 望
前川智子さん 長崎実行委代表
◆ 迷う背中 学生に押され

ストーン・ウオークの県内行程(二―五日)を終えた翌六日、講師を務める長崎大の教室に入った前川智子さん(長崎市御船蔵町)を、学生らの大きな拍手が出迎えた。県内行程の支援の先頭に立ち、教え子たちの協力で果たすことができた充実感。「学生との距離が縮まった気がした。本当に良かった」と思えた瞬間だった。
米中枢同時テロ犠牲者遺族の米国人らと手を携え、広島まで石碑を運ぶストーン・ウオーク。県内行程の責任者として、講師を務める同大や長崎総合科学大、長崎シーボルト大の学生に、懸命に参加を呼び掛けた。協力を得た県民ら延べ約八百人のうち、大学生は二百人超。その努力が数字で表れた。
大学講師の傍ら長崎平和推進協会国際交流部会の役員などとして、被爆地の平和運動にかかわってきた。しかし今回、親交があった米国の平和団体から協力を求められたとき、「正直、無理だと思った」。道路の使用許可、参加者集め―。解決すべき難題が山ほどあった。
迷う背中を押してくれたのは学生たちだった。今年一月、米の関係者が長崎を訪れストーン・ウオークの計画を紹介したとき、多くの学生が「応援したい」と申し出た。「平和のために行動したい若者はたくさんいる。その気持ちを大事にしたい」。心は決まった。
被爆者や市民で五月に発足させた実行委には多くの学生が加わり、各大学で参加の輪を広げてくれた。そして本番。県内行程前半の週末の二日間、荷車を囲んで歩く明るい笑顔の若者の姿が目立った。
「歩こう 歩こう 私は元気」―。諫早市を通過した二日目、学生たちがアニメ映画の主題歌をいつしか歌い始めた。米の参加者に歌詞を英訳していると、今度は「英語の歌にしよう」と学生が言う。「声を掛けたのは私。でも始まってみると、みんなが私を引っ張ってくれた」とうれしそうに話す。
「平和のことに関心がないわけではない。ただ、きっかけがなかっただけ」。多くの若者が一歩を踏み出してくれたことが一番の成果だと思う。
荷車を佐賀県に引き継いで二日後の七日、ロンドンで同時爆破テロが起きた。世界はいまだ平和から遠いところにある。それでも前川さんは、確かな希望を抱いて、六十年目の夏を迎える。