揺らぐ援護
 =被爆体験者の行方= 上

突然の制度見直しに説明会では被爆体験者の怒りが噴出した=5月19日、長崎市東公園コミュニティ体育館

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揺らぐ援護 =被爆体験者の行方= 上 なぜ今・・・
“制度後退”国に怒り

2005/05/30 掲載

揺らぐ援護
 =被爆体験者の行方= 上

突然の制度見直しに説明会では被爆体験者の怒りが噴出した=5月19日、長崎市東公園コミュニティ体育館

なぜ今・・・
“制度後退”国に怒り

長崎原爆の爆心地から半径十二キロ内で原爆に遭った「被爆体験者」への医療給付が、六月一日から見直される。給付対象の居住要件が「十二キロ内」から「県内」に拡大される一方で、被爆体験に起因する精神疾患と合併症を個人ごとに特定するなど、制度の後退を危惧(きぐ)する声が広がっている。
「やっと救われたと思っていたのに、今さらなぜ…」

今月十九日、長崎市東部で開かれた医療給付見直しに関する説明会。参加した川内英雄さん(68)=川内町=は、わずか三年で見直しに転じた国の方針に怒りの声を上げた。

川内さんは八歳の時、自宅近くの山で原爆に遭った。「木の葉が真っ白になるほど、放射能を帯びた灰が飛んできた。今でも、あのB29の不気味な音が夢に出てくる」。当時の恐怖の記憶が胸の奥に残っている。

官民一体で取り組んだ被爆地域の拡大運動が実を結び、国は二〇〇二年四月、爆心地から十二キロ内を新たな「健康診断特例区域」に設定。同区域内の住民に、原爆放射線の影響はないが、被爆体験による心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの健康障害が存在することを認めた。半世紀以上取り残されていた住民に、やっと援護の道が開けた。

川内さんも、医療費の自己負担分が補助される「被爆体験者医療受給者証」を受け取った。その後、高血圧で病院に通うようになり、投薬が欠かせない毎日だ。

それから三年、国は制度見直しを打ち出した。不合理さが指摘されていた医療給付対象者の居住要件は「十二キロ内」から「県内」に拡大されたが、医療給付について、約八十の対象疾病を個人ごとに特定し、精神科医の意見書提出を三年に一回から毎年に変更するなど、運用の厳格化を図るとともに、予算枠(約九億四千万円)も設定した。

「被爆体験者が抱える原爆放射線への不安から生じた精神疾患と合併症の治療、改善に重点を置くため」―。厚生労働省の担当者は見直しの理由をこう説明する。背景には「三年の間に、水虫などの感染症や骨折(外傷)、がんといった給付対象外まで医療費が支給されていた」(同省)実態があるという。

制度の見直しで、現在の治療が給付対象外となる恐れが出てきたことに、川内さんは納得がいかない。「私たちも被爆者。被爆体験者医療給付制度は、不十分だが仕方ないと我慢してきたのに…。もう怒りを通り越して情けない」

被爆体験者 南北に細長い被爆地域を是正するため、国は2002年4月、爆心地から半径12キロ内の被爆未指定地域を被爆者援護法の「健康診断特例区域」に加え、年1回の健康診断を実施。現在も12キロ内に居住する被爆体験者に限り、被爆体験による精神的影響が認められれば医療費の自己負担分が補助される。医療給付が受けられる「被爆体験者医療受給者証」は約9000人に交付されている。