届けナガサキの声 
 =NPT再検討会議を前に= 4

「核兵器廃絶への市民のうねりをつくりたい」と話す野崎敬子さん=長崎新聞社

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届けナガサキの声 =NPT再検討会議を前に= 4 野崎敬子さん 「核廃絶 信じている」

2005/04/18 掲載

届けナガサキの声 
 =NPT再検討会議を前に= 4

「核兵器廃絶への市民のうねりをつくりたい」と話す野崎敬子さん=長崎新聞社

野崎敬子さん 「核廃絶 信じている」

「核兵器はなくせる、って信じています」。野崎敬子さん(44)は、あの時の「熱気」に思いをはせる。

爆心地に近い被爆校、山里小で学んだ。地球温暖化や食の安全など、環境問題を考える市民グループ「ながさき『地球村』」で活動していたが、五年前まで平和運動とは無縁だった。

二〇〇〇年、〇三年の二度にわたり、被爆地長崎で開かれた反核非政府組織(NGO)の国際会議「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」。「戦争は最大の環境破壊」と考え、実行委員会に飛び込んだ。既存の平和運動の枠を超え、幅広い市民が運営に参加していた。中でも、被爆者との出会いは鮮烈だった。

原爆を落とした米国への憎しみ、恨み言を口にすることなく、核兵器がもたらした「あの日」の惨状を訴え、「犠牲者は私たちで最後にしてほしい」と訴える被爆者のいちずな姿。「“人間”への深い愛情を感じました。核廃絶という大きな目標に突き進む、そのエネルギーに感動して…」

その出会いは、さらに現代の核問題や地域紛争に目を向けさせた。湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾による健康被害。アフリカで拡散する小型武器の問題。「地球村」は、現地を知るNGOを招いた学習会を積極的に開き始めた。

五年前の核拡散防止条約(NPT)再検討会議。国家間交渉に“圧力”をかけたのが、世界から集まった反核NGO。その結果、核保有国から「核兵器廃絶への明確な約束」を含む最終報告を引き出した。

だが、「明確な約束」は履行されないまま五年が過ぎた。反核NGOによる包囲網を再現しようと、市民集会実行委は四月末から約一週間、会議が開かれるニューヨークへ代表団十人を送り込む。

「核軍縮を話し合う最前線や世界のNGOの動きを自分の目で確かめてみたい。長崎には平和を築こうと頑張っている被爆者がたくさんいる。それを知ってもらうのが私の役目」。代表団に加わる野崎さんは、こう決意を語る。

環境問題に関心を持つまで、ダンスが大好きだった普通の会社員。「こんな私が国際会議の代表団に加わること自体、長崎の平和運動の広がりを象徴していると思いませんか」とも。

「核廃絶を信じる地球市民と手を組めば、きっと大きなうねりになる。その気迫が、必ず現実を変える」。野崎さんの胸に確信が広がる。