かけ離れた思い
 =在韓被爆者援護の今= 上

医師に健康状態を説明する金漢洙さん(右)=韓国大田市、大韓赤十字社大田忠南支社

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かけ離れた思い =在韓被爆者援護の今= 上 期 待 日本語で感謝の言葉

2004/10/21 掲載

かけ離れた思い
 =在韓被爆者援護の今= 上

医師に健康状態を説明する金漢洙さん(右)=韓国大田市、大韓赤十字社大田忠南支社

期 待 日本語で感謝の言葉

県と長崎市は十月上旬、被爆者医療に詳しい医師七人を韓国中部の大田、平澤両市に派遣、在韓被爆者の健康相談を実施した。国の在外被爆者支援事業の一環で、七月の陜川に続き二回目。国外からの健康管理手当申請を認める司法判断が下されるなど、在外被爆者援護の在り方が再び注目される中、医師団に同行し、その意義と課題を探った。

首都ソウルから南へバスで三時間、緑豊かな平地が広がる大田市。相談初日の十月三日、市の中心に近い相談会場の大韓赤十字社大田忠南支社には、医師団が到着する一時間前から、腰の曲がった男性が廊下で待っていた。

「せっかく日本から来てくれるのだから、早く来て待つのが礼儀」

金漢洙(キム・ハンス)さん(86)=大田市=は戦時中、長崎に強制連行され、徴用先の三菱重工長崎造船所で被爆。建物の下敷きとなり、腰を強く打った。昨年春、戦後初めて長崎市を訪れ、被爆者健康手帳の交付を受けた。この日、金さんの手にはビニール袋に入れた真新しい手帳が握り締められていた。

「年のせいで腰が痛い。韓国では熱心に診てくれないことが多い」。金さんは日本語で感謝の言葉を口にした。日本からの医師団は、戦後六十年近く忘れ去られていた被爆者たちの目に、「初めて受ける人間らしい待遇」と映った。

今回の対象は、大田、平澤両市周辺に住む韓国原爆被害者協会幾湖支部員と大韓赤十字社が把握していた被爆者九十四人。そのうち、六十七人が相談を申し込んだが、会場に来ることができない人が相次ぎ、最終的に六十人が相談を受けた。

相談を希望した被爆者は事前に、韓国の医療機関で健康診断を受け、その結果を基に、本県の医師(内科と整形外科)が通訳を介して、健康状態を聞き取った。理学療法士による指導、保健師の健康相談もあった。

県原爆被爆者対策課は「(健康相談は)在外被爆者支援事業のメニューの中にあり、在韓被爆者の原爆後障害に対する不安解消と健康増進を図るため」と医師団の派遣理由を説明する。

「日本の被爆者と同様、成人病や加齢に伴う足腰の痛みが多かった。被爆状況を思い出し、心身や子どもへの影響の不安を訴える人が目立った」。団長の森秀樹長崎原爆病院副院長は印象をこう話した。

二〇〇一年の在韓被爆者大阪訴訟での国敗訴をきっかけに、国は〇二年度から、渡日治療や被爆者健康手帳取得時の渡航費助成などを柱とした在外被爆者支援事業を開始した。来日を前提としたため、利用者は伸び悩んでいる。それだけに、海を渡ってやってきた日本の医師団への期待は大きかった。