不戦の誓い
 =私の太平洋戦争= 5(完)

兄の名が刻まれた慰霊碑の前で手を合わせる本岡文子さん=佐世保市東山町、東山海軍墓地

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不戦の誓い =私の太平洋戦争= 5(完) 60年目に知った真実
兄がマラッカ海峡で戦死した
本岡文子さん

2004/08/15 掲載

不戦の誓い
 =私の太平洋戦争= 5(完)

兄の名が刻まれた慰霊碑の前で手を合わせる本岡文子さん=佐世保市東山町、東山海軍墓地

60年目に知った真実
兄がマラッカ海峡で戦死した
本岡文子さん

今年は生涯忘れられない夏になった。兄(向井栄さん=享年二十六歳)の戦死から六十年目、初めてその死の真実を知ったからだ。

「昭和十九(一九四四)年七月二十二日未明、南方洋上で戦死」

横須賀海兵隊に所属していた兄の死は、家族と離れて渡った旧満州で知った。「生きたまま船は沈んだはず。苦しかっただろう」。止めどなく涙があふれた。

「お国のため」。誰もが、そう戦争に駆り立てられた。若くして母と姉、すぐ下の弟が亡くなり、頼りの兄まで。泣き叫びたくてもできない、そんな時代だった。

ソ連国境に近い旧満州の牡丹江で終戦を迎えた。やっとの思いで長崎にたどり着いたのは、翌年九月。稲佐町の実家は原爆で焼け、父も四年後、原爆の影響とみられる病気で亡くなった。

兄の死を知らせるのはただ一通の公報。「苦しいとき、兄が生きていてくれたら、と何度思ったことか。どこで、なぜ死んだのか」。結婚して三人の子に恵まれたが、兄の最期が心に引っかかっていた。

「伊号166」

十数年前、兄が乗務していた潜水艦の名前を人づてに聞いた。任務や展開地域は軍事機密とされ、なすすべもなく、月日だけが過ぎ去った。

今年五月、長女が偶然訪れた佐世保市の海軍資料館で「伊号166」の名を目にした。その後、この潜水艦で父親を亡くした鶴亀彰さん(米カリフォルニア州在住)が、沈没の正確な日時と場所を突き止めていたことを知った。

「昭和十九年七月十七日午前七時二十分、マラッカ海峡で英国潜水艦の攻撃を受け沈没。乗員九十三人のうち八十八人が死亡」。あきらめかけていた兄の最期にやっとたどり着いた。

今年七月十七日、亡くなった乗員の名が刻まれている佐世保市東山海軍墓地の慰霊碑前に、遺族三十人が集まった。「六十年目の命日、兄が巡り合わせてくれた。私だけが悲しい思いをしてきたわけではなかった」。言葉より先にあふれた涙が、傷を癒やしてくれた。

今も世界のどこかで、銃弾が飛び交い、人を殺し合っている。罪のない子どもたちが命を落とし、多くの建物が壊されている。子どもや孫に私のような悲しい思いを抱え生きてほしくない。それだけが願い。

もとおか・ふみこ 長崎市生まれ。親類を頼り、旧満州国奉天(現在の中国・瀋陽)に渡る。終戦後、長崎に引き揚げ。現在1男2女と4人の孫に囲まれ暮らす。西彼長与町高田郷。82歳。