ダウン症の吉田さん回顧展 13歳から書道、輝いた人生感じて 28日から、長崎・コクラヤギャラリー

長崎新聞 2025/03/25 [12:49] 公開

幸恵さんの作品について「皆さんに見てもらえたらうれしい」と語る母の光江さん(左)と書道の師である野田さん=長崎市、吉田さん宅

幸恵さんの作品について「皆さんに見てもらえたらうれしい」と語る母の光江さん(左)と書道の師である野田さん=長崎市、吉田さん宅

  • 幸恵さんの作品について「皆さんに見てもらえたらうれしい」と語る母の光江さん(左)と書道の師である野田さん=長崎市、吉田さん宅
  • 入院中も笑顔を絶やさなかった吉田幸恵さん=2024年4月、長崎市内(遺族提供)
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昨年6月に31歳で亡くなった、長崎市西海町の吉田幸恵さんの書作品を集めた回顧展が28日から4月1日、同市万屋町のコクラヤギャラリー3階で開かれる。幸恵さんはダウン症で、発達に遅れがあったが、漢字検定に挑戦するほど文字が好きで、13歳からこつこつと書道を続けてきた。病床でも持ち前の朗らかな性格でいつも周囲を和ませていた。

 幸恵さんの家族は、作品を通して、輝いて生きた幸恵さんの人生に思いをはせてほしいと来場を呼びかけている。

 幸恵さんはとび職の父年正さん(77)と母光江さん(72)の間に生まれた。7人きょうだいの末っ子で長女。「幸せに恵まれるように」と願いを込めて名付けられた。人懐っこく、友達が大好き。長崎市立仁田小(現在の仁田佐古小)に入学すると、上機嫌でランドセルを背負い、笑顔で学校に通った。

 書道を始めたのは、県立虹の原特別支援学校中学部に入学後。仁田小2年時の担任だった書道家の野田明美(雅号・佳秀)さん(67)=同市矢上町=が、書道教室を開いたことがきっかけ。長崎書道会の書道誌「書道の歩み」を教材に、週1回こつこつと練習。近代詩文の書で長崎市障害者アート作品展の市長賞に輝いたこともあった。

 水泳やテニスも好きで、知的障害のある人たちの自立や社会参加を支援する「スペシャルオリンピックス日本」(SON)の長崎地区大会にも出場した。ダウン症の子どもたちが参加するダンスチーム「バンビーズ」では、色鮮やかな衣装で笑顔いっぱいに踊った。特に大きな病気もせず、元気に過ごしていた。

 ところが2023年9月のある朝、寝室で苦しみだし緊急入院。睡眠時無呼吸症候群による心不全だった。治療の過程で気管切開し、話せない状況になった。それでも光江さんがカメラを向けると、にこっと笑ってピースサインで応えていた幸恵さん。漢字検定の4級合格を目指し、病床でも漢字ドリルに励んでいた。しかし、病状は徐々に悪化し、入院から9カ月後、家族に見守られながら息を引き取った。

 回顧展は幸恵さんの初盆が終わった後、野田さんが光江さんに提案した。「幸恵ちゃんの書は、すてきな作品がいっぱいある。文字の中に、心が宿っている。頑張って生きてきた足跡を見てもらおう。皆さんきっと心を打たれ、生きる力になる」と。

 展示するのは約30点。名前にちなんだ「幸」の文字が入った近代詩文の「辛いは幸福の途中」、光江さんが還暦祝いにリクエストした「光龍」など、一つ一つに思い出が詰まっている。

 展覧会に向けて作品を整理しながら光江さんは「どうしても思い出しちゃうから、文字を見るのはまだつらい」とぽつり。幸恵さんの躍動感あふれる筆跡をしばらく見つめていた光江さんは目元を拭い「だけど、皆さんが作品を見て『よく頑張ったね』と、天国の幸恵に言ってもらえたら」と語った。