ここ長崎で一歩を踏み出したヒバクシャたちの運動を、世界がたたえた。11日発表された日本原水爆被害者団体協議会(被団協)へのノーベル平和賞授与。受賞を知った長崎の被爆者や若者たちは喜び、亡きリーダーたちの思いを継ぐ決意を新たにした。来年の被爆80年の節目を前に、高齢化で仲間の数は減り続け、今なお核なき世界の実現も見通せない。それでも訴え続けてきた。「ノー・モア・ヒバクシャ」「長崎を最後の被爆地に」-。核兵器廃絶を果たすまで、長崎が歩みを止めることはない。
核兵器廃絶の志半ばで逝った先輩たちを思うと、涙が止まらなかった。11日午後8時過ぎ、長崎市の長崎原爆被災者協議会で開かれた会見。田中重光会長(83)=被団協代表委員=はハンカチで目元をそっと拭った。「偏見、差別、言葉にできない苦労をして先輩たちは運動を続けてきた。それを若い被爆者が引き継いで頑張った」。“後輩”として少し誇らしげに語った。
吉報はその約2時間前。東京での被団協会議を終え長崎へ戻る飛行機内で知った。横山照子副会長(83)=同代表理事=らと4人で手を握りあい、喜びを分かち合った。会見で横山さんは、ノミネートされながらも“落選”した過去を振り返り「世界では戦争も内戦もあり、核を使うという脅しもある。それを止めるためにもノーベル賞が欲しかった」と明かした。「私たちには被爆80年の取り組み、その先の取り組みができる。若い人たちに引き継がなければ、と腹をくくっています」
会見席の傍らには、被爆者運動を黎明(れいめい)期から率いた亡き被爆者の写真が置かれていた。渡辺千恵子さん、山口仙二さん、谷口稜曄(すみてる)さんの3人。このうち山口さんは被団協代表委員だった1982年、米国の国連本部で被爆者として初めて演説。「ノー・モア・ヒバクシャ」は後の核兵器廃絶運動の合言葉となった。
「お父さん、やったね」-。山口さんの長女、野田朱美さん(64)は自宅で受賞を知り、闘い続けた父の姿が頭に浮かんだ。「長崎から始まった草の根運動の積み重ねが、受賞につながった」と思う。山口さんの国連演説は、42年余りがたった今の時代にも色あせない内容だ。だが朱美さんは言う。「逆に言えば核兵器がある世界が今も続いているということ。これをきっかけに『世界の草の根運動』になっていかないかな」
被爆者の思いは若い世代にも受け継がれてきた。核兵器廃絶署名を国連に届けてきた高校生平和大使も、平和賞に7年連続でノミネート。第27代の津田凜さん(16)=県立長崎東高2年=は「私たちの活動は被爆者の証言があってこそ。私の祖父も被爆者で、身近な人たちの声が世界に届いたこと、これからも広がっていくことが、すごくうれしい」と喜びをかみしめた。
長崎大核兵器廃絶研究センターの吉田文彦センター長は「授賞理由は核リスクが高まる中で被爆者の証言に耳を傾け、核の不使用を継続する思いを込めたとのことだった。あらためて証言が注目されるのは間違いなく、被爆地の発信力を強める機会を得た」と分析。「被爆者なき時代が目の前に迫る中、私たち市民がいかに発信していくか真剣に考えなければ」と語った。
核兵器廃絶の志半ばで逝った先輩たちを思うと、涙が止まらなかった。11日午後8時過ぎ、長崎市の長崎原爆被災者協議会で開かれた会見。田中重光会長(83)=被団協代表委員=はハンカチで目元をそっと拭った。「偏見、差別、言葉にできない苦労をして先輩たちは運動を続けてきた。それを若い被爆者が引き継いで頑張った」。“後輩”として少し誇らしげに語った。
吉報はその約2時間前。東京での被団協会議を終え長崎へ戻る飛行機内で知った。横山照子副会長(83)=同代表理事=らと4人で手を握りあい、喜びを分かち合った。会見で横山さんは、ノミネートされながらも“落選”した過去を振り返り「世界では戦争も内戦もあり、核を使うという脅しもある。それを止めるためにもノーベル賞が欲しかった」と明かした。「私たちには被爆80年の取り組み、その先の取り組みができる。若い人たちに引き継がなければ、と腹をくくっています」
会見席の傍らには、被爆者運動を黎明(れいめい)期から率いた亡き被爆者の写真が置かれていた。渡辺千恵子さん、山口仙二さん、谷口稜曄(すみてる)さんの3人。このうち山口さんは被団協代表委員だった1982年、米国の国連本部で被爆者として初めて演説。「ノー・モア・ヒバクシャ」は後の核兵器廃絶運動の合言葉となった。
「お父さん、やったね」-。山口さんの長女、野田朱美さん(64)は自宅で受賞を知り、闘い続けた父の姿が頭に浮かんだ。「長崎から始まった草の根運動の積み重ねが、受賞につながった」と思う。山口さんの国連演説は、42年余りがたった今の時代にも色あせない内容だ。だが朱美さんは言う。「逆に言えば核兵器がある世界が今も続いているということ。これをきっかけに『世界の草の根運動』になっていかないかな」
被爆者の思いは若い世代にも受け継がれてきた。核兵器廃絶署名を国連に届けてきた高校生平和大使も、平和賞に7年連続でノミネート。第27代の津田凜さん(16)=県立長崎東高2年=は「私たちの活動は被爆者の証言があってこそ。私の祖父も被爆者で、身近な人たちの声が世界に届いたこと、これからも広がっていくことが、すごくうれしい」と喜びをかみしめた。
長崎大核兵器廃絶研究センターの吉田文彦センター長は「授賞理由は核リスクが高まる中で被爆者の証言に耳を傾け、核の不使用を継続する思いを込めたとのことだった。あらためて証言が注目されるのは間違いなく、被爆地の発信力を強める機会を得た」と分析。「被爆者なき時代が目の前に迫る中、私たち市民がいかに発信していくか真剣に考えなければ」と語った。