「様」で呼ぶ心

長崎新聞 2025/04/29 [10:18] 公開

お天気キャスターの草分け、故・倉嶋厚さんの祖母は江戸末期の生まれだった。戦前のある日、祖母は中学生の孫、倉嶋さんに紙切れを渡す。私は文字を知らない、代わりに今から言う言葉を書き留めてくれ、という▲お地蔵様、ラジオ様、ガス様、電気様…。おばあちゃん、これはなあに? 言われるままに書きながら尋ねると、祖母は言った。「みんな私の神様、仏様だ」。倉嶋さんの著書「季節さわやか事典」(東京堂出版)の一節にある▲人々が身の回りの品に感謝の心を寄せていた、そんな時代の回想だろう。「様」は付けないまでも、多くの人がその心を引き継いだのはさて、いつ頃までか▲高度成長期のどこかで、日本人は大切な何かを落としてしまったのかもしれない。ガス様、電気様…。物価高の今どきはいくらか身に染みはするが「あって当たり前」のもののありがたみを忘れがちのなかで「昭和の日」を迎えた▲若い世代を中心に「昭和レトロブーム」が何年も続いている。駄菓子、黒電話、歌謡曲、ブラウン管のテレビ…。「知らないのに懐かしい」感じがいいらしい▲昭和の薫りの漂う古い物に触れるのもよし、遠い昔のおばあさんに倣い、身の回りの「様」を数えてみるのもよし。落とし物を取りに戻る空想の旅も、きっと味わい深い。(徹)