井上博明さん死去 最期まで選手第一で…「バレー道を貫いた」名将悼む声 長崎

長崎新聞 2025/04/28 [10:40] 公開

春高バレーで日本一に輝き、選手たちに胴上げされる井上監督=2014年1月、東京体育館

春高バレーで日本一に輝き、選手たちに胴上げされる井上監督=2014年1月、東京体育館

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突然の訃報に多くのスポーツ関係者が落胆した。高校バレーボール界の名将、井上博明さんが67歳で死去したことを受け、教え子や関係者から26日、悼む声が上がった。

 井上さんは九州文化学園高(長崎県佐世保市)で1980年から43年間指揮を執り、チームを15度の日本一に導いた。安部直樹理事長(79)は「彼は“バレー道”を貫いた。バレーを通じた人間づくりが印象に残っている。元気が良く礼儀正しいバレー部員たちは、生徒たちの見本だった」と功績をたたえた。
 九州文化学園高を定年退職後の2023年からは、県立西彼杵高の監督に就任。地域を挙げて女子バレー部をサポートした後援会の朝長隆洋専務理事(60)は「体調が優れない中でも体育館に来て、練習を真剣なまなざしで見ながら、最後まで声かけをしていた。残念でならない。バレーのことを一筋に真剣に考えて生きてきた人。お疲れさまでした」とねぎらった。
 井上さんは全国の指導者の目標となり、多くの影響を与えた。その一人で、約20年間“恩師”と慕って指導を仰いだ県立大崎高野球部の清水央彦監督(54)は「見せかけじゃないことを徹底してやろうとされた方。その姿勢を学び、考えを育てていただき、生徒に対する接し方がよく分かった。井上先生のおかげで勝てるようになった」と存在の大きさを語った。
 井上さんが思いを込めて育てた教え子たちは、バレー界をはじめ、各所で活躍している。九州文化学園高が高校全国3冠を達成した04年時に主将を務め、実業団の東レ(現東レ滋賀)や日本代表でプレーした高田ありささん(38)=滋賀県在住=は「これからも頑張ると言っていたので悔しいと思う。いつも選手のことが第一で多くのことを犠牲にしてこられた。ゆっくり休んでくださいと伝えたい」と静かに語った。