長崎の隠れた偉人「島谷市左衛門」知って 江戸期に小笠原諸島探検に成功 顕彰会発足

2021/12/10 [12:00] 公開

島谷市左衛門の墓参りをした顕彰会(仮)のメンバー=長崎市、禅林寺

 江戸期に小笠原諸島の探検に成功した島谷市左衛門の功績を広く発信しようと「島谷市左衛門の顕彰会(仮)」が発足し、6日、メンバーらが長崎市寺町の禅林寺にある島谷の墓地を訪れ、活動の充実を誓った。
 発起人は同市の三宅聰亨(としゆき)さん(75)。9月に同市の作家、松尾龍之介さんの講座で島谷の話を聞き、あまり知られていない功績を市民に知ってもらいたいと、松尾さんや知人ら約10人と顕彰活動を始めることにした。
 松尾さんによると、島谷は南蛮航海術を学んだ長崎の船頭。幕命により1675年、当時は「無人島(むにんしま)」と呼ばれていた現在の小笠原諸島を約1カ月かけて探検調査した。しかし翌年、島谷の後ろ盾となっていた長崎代官・末次平蔵家が密輸の発覚により没落すると、島谷の功績も歴史の闇に葬られた。
 幕末になって外国船が同諸島に目を付けた時、幕府はかつての島谷の探検の事実とその時に製作された地図を基に、同諸島が日本に帰属することを認めさせたという。
 6日は、島谷の墓前でメンバー5人が花を供え、今後の活動についても話し合った。三宅さんは「私自身もこんなすごい人がいるとは知らなかった。長崎の人に、長崎の隠れた偉人について知ってほしい」、松尾さんは「島谷は教科書に載っているべき人物。これを契機に日本全国に広げていきたい」と語った。