1969年12月の開店から55年。長崎市のオフィス街、万才町で人々の胃袋を満たし、愛されてきた味美(あじよし)食堂が21日、のれんを下ろす。元々は店主夫婦の高齢化などが理由だったが、閉店を前に店主の浦口榮さん(83)が3日、不慮の事故が原因で急逝。訃報と閉店を知った常連客らが後を絶たず、妻の芳子さん(83)と長女の丸尾明子さん(59)は長年の引き立てに感謝し、2人で厨房(ちゅうぼう)に立つ。
榮さんが修業を積んだ老舗カレー店「夕月(ゆうづき)」から独立後、市内の五島町で開業。5年後に立ち退きで現在の場所に移り、半世紀になる。
カレーのほか、ちゃんぽんや定食が評判。榮さんが仕込みや出前を担当し、芳子さんが調理、明子さんは盛り付けや配膳を手伝ってきた。「お父さんは豚骨と鶏がらで丁寧にスープば作りよったけん、色も真っ白でおいしかと」と芳子さんは胸を張る。
長年、人々に愛されてきたが、建物の老朽化と夫婦の年齢も考え店を閉じることを決意。そうした中、バイクで出前中だった榮さんが肋骨(ろっこつ)を折る自損事故を起こす。痛みをこらえ、亡くなる2日前まで店に出ていたが、体調を崩し帰らぬ人となった。
7坪しかない店内はカウンターの10席のみ。間口は1・7メートルしかなく、奥に座った客が「ごちそうさま~」と言いながら厨房を通って帰るのは当たり前の光景だ。身動きが取りづらいせいか、客自身がご飯をよそったり会計をしたりと「ここではみんなが従業員って感じでさ。本当にいいお客さんばっかり」(芳子さん)。朗らかな夫婦の人柄に引かれた常連たちが50周年のお祝い会を開くなど、家族のような信頼関係で結ばれてきた。
「きつい時もあったけど、楽しい思い出ばかり。夫婦で言い合いをしながらも、店に立つ2人の顔を見るのが好きだった」と明子さん。「あっこちゃんがおったけん、今までやってこられたとよ」と芳子さんも感謝を口にする。
「カレーは売り切れ? ショックすぎる」「閉店までなるべく来るけんね」「おじちゃんのスープの最後の一滴(ひとしずく)を味わいに」。初七日法要を終え、今月13日に営業を再開してからは訃報や閉店を知った人々が駆け付け、店内は大にぎわい。芳子さんは「最後は涙の出るけん、大きかタオルば何枚も用意せんば」と記念撮影やあいさつに忙しい。
泣き笑いの最終日は榮さんのスープに継ぎ足した「夫婦の味」でちゃんぽんを作る。
榮さんが修業を積んだ老舗カレー店「夕月(ゆうづき)」から独立後、市内の五島町で開業。5年後に立ち退きで現在の場所に移り、半世紀になる。
カレーのほか、ちゃんぽんや定食が評判。榮さんが仕込みや出前を担当し、芳子さんが調理、明子さんは盛り付けや配膳を手伝ってきた。「お父さんは豚骨と鶏がらで丁寧にスープば作りよったけん、色も真っ白でおいしかと」と芳子さんは胸を張る。
長年、人々に愛されてきたが、建物の老朽化と夫婦の年齢も考え店を閉じることを決意。そうした中、バイクで出前中だった榮さんが肋骨(ろっこつ)を折る自損事故を起こす。痛みをこらえ、亡くなる2日前まで店に出ていたが、体調を崩し帰らぬ人となった。
7坪しかない店内はカウンターの10席のみ。間口は1・7メートルしかなく、奥に座った客が「ごちそうさま~」と言いながら厨房を通って帰るのは当たり前の光景だ。身動きが取りづらいせいか、客自身がご飯をよそったり会計をしたりと「ここではみんなが従業員って感じでさ。本当にいいお客さんばっかり」(芳子さん)。朗らかな夫婦の人柄に引かれた常連たちが50周年のお祝い会を開くなど、家族のような信頼関係で結ばれてきた。
「きつい時もあったけど、楽しい思い出ばかり。夫婦で言い合いをしながらも、店に立つ2人の顔を見るのが好きだった」と明子さん。「あっこちゃんがおったけん、今までやってこられたとよ」と芳子さんも感謝を口にする。
「カレーは売り切れ? ショックすぎる」「閉店までなるべく来るけんね」「おじちゃんのスープの最後の一滴(ひとしずく)を味わいに」。初七日法要を終え、今月13日に営業を再開してからは訃報や閉店を知った人々が駆け付け、店内は大にぎわい。芳子さんは「最後は涙の出るけん、大きかタオルば何枚も用意せんば」と記念撮影やあいさつに忙しい。
泣き笑いの最終日は榮さんのスープに継ぎ足した「夫婦の味」でちゃんぽんを作る。