<長崎空港開港50周年・昭和から令和へ③>浮かぶ昭和・平成史 バブル、不況、龍馬伝、国体…

長崎新聞 2025/04/30 [12:20] 公開

長崎空港 乗降客数の推移

長崎空港 乗降客数の推移

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長崎空港は1975(昭和50)年の開港以降、乗降客数の増減を重ねてきた。その推移をたどると、長崎県の昭和・平成史が浮かび上がってくる。

 長崎空港ビルディング(大村市)の調べによると、開港初年度に72万6千人だった乗降客数は次年度から増加を続けた。79年、中国・上海との定期便が就航。80年には3千メートル滑走路が供用開始され、目標とされた「西の国際空港」へ一歩踏み出した。

 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(当時)が81年2月に来崎。同年度、初めて200万人を突破した。長崎大水害が起きた翌82年度は100万人台に戻るも、バブル景気に後押しされ、87年度から毎年200万人台に乗るようになった。

 90(平成2)年、長崎「旅」博覧会が開催。約188万人の人出でにぎわった。空港には超音速旅客機コンコルドが記念飛来し、約1万5千人の見物客でごった返したという。91年には旧ソ連のゴルバチョフ大統領(当時)が空港に降り立った。佐世保市にハウステンボス(HTB)が開業した92年。同年度、乗降客数は250万人を突破した。

 87年度から毎年過去最高を更新し続けた乗降客数は95年度、ついに300万人台に。翌96年度には320万3千人を記録した。

 だが、この年を境に乗降客数は減少に転じた。97年、山一証券が自主廃業するなど、不況の波が地方空港にも及んだとみられる。

 21世紀。追い打ちをかける事態が相次いだ。2001年に米同時多発テロが発生し、03年ごろには重症急性呼吸器症候群(SARS)が流行。空港ビルがリニューアルした08年、金融危機リーマン・ショックが世界を襲い、乗降客数は09年度、232万5千人まで落ち込んだ。

 しかし、10年度はV字回復の始まりとなった。この年、放映されたNHK大河ドラマ「龍馬伝」は長崎市が舞台の一つになり、同市の経済波及効果は191億円に上ったとされる。これ以降、乗降客数は年々増加した。

 スカイマークやピーチ・アビエーションなども就航し、「長崎がんばらんば国体・大会」があった14年度には300万人台に復帰し
た。空港では無料Wi-Fiサービスも開始。熊本地震が起きた16年度は微減したものの、全国的なインバウンド需要を背景に18年度、過去最高の326万9千人に達した。22年ぶりの更新だった。

 19(令和元)年度も記録更新を狙う勢いだった。だが、年度末の20年冬、空港から利用客の姿が消えた。新型コロナウイルス禍の始まりだった。