「加減」は足し算と引き算でできている。「湯加減」なら熱を加えたり水でうめたり。「さじ加減」は慎重に味見を繰り返して。巧く「手加減」をするには、彼我の力関係を的確に見極める観察眼や判断力が欠かせない▲そうした工夫や努力や必要な手間暇をあれやこれや欠いている状態を「いいかげん」と呼ぶのだ、と改めて思う。もともとは「好い加減」だったはずの言葉に、褒め言葉のニュアンスは少しもない▲手元の辞書の編集者は“いいかげんな仕事”がよほど嫌いなようで〈一貫性や明確さを欠いていて、それに接する人にうそ・ごまかし・でまかせ・行き当たりばったりだ、という印象を与える様子〉と入念な説明があった▲一貫性がない-。真っ先に思い浮かべるのはトランプ米大統領の高関税政策だ。とんでもない税率の数字の一覧表で世界中を驚かせ、すぐさま凍結した先に彼なりの「加減」の目算はあるのだろうか▲石破茂首相の「物価高対策」も負けてはいなかった。瞬く間にしぼんだ給付金構想の観測気球。飛距離の短さにはあきれた。ぬか喜びする暇もなかった▲彼らの気まぐれに振り回されている間に4月が終わろうとしている。皆が感じているはずだ。いいかげんにしなさい。あ、この命令文には「好い加減」の痕跡が残っている。(智)
いいかげんに
長崎新聞 2025/04/30 [09:45] 公開