里山再生へ 対馬で「木庭作」 伝統の焼き畑復活

2019/09/06 [00:06] 公開

山の斜面で草木を刈り、火入れする「ツシマヤマネコ木庭作利用実行委員会」の会員ら=対馬市上県町志多留

 50年ほど前まで長崎県対馬市の斜面地で行われていた焼き畑農業「木庭作(こばさく)」を復活し、手入れの行き届いた里山の環境を再生させようと、地元住民や大学の研究者らでつくる「ツシマヤマネコ木庭作利用実行委員会」(神宮正芳(しんぐまさよし)会長)がこのほど、同市上県町志多留(したる)の山間部で草木を焼き、対馬在来のソバの種をまいた。
 同実行委によると、木庭作は山がちで平地の少ない対馬で伝統的に行われてきた農業で、島民は炭焼きとともに山でのなりわいとしてきた。しかし、戦後に燃料が石油などに変わったことと併せ、集落の高齢化・担い手不足が進んだこともあり、1970年代までに廃れたとみられる。農地などとして使われていた山はその後、シイなどが生い茂った陰樹林となっている。
 志多留地区では、2011年度に日本大の研究者らが、同実行委の前身となる団体をつくって木庭作の復活運動を開始。畑からこぼれ落ちたソバの種子が林の中にすむヒメネズミなどのえさとなり、それらを捕食するツシマヤマネコ=絶滅危惧IA類=の生息環境整備につながればと、住民と協力して活動している。
 木庭作を行う山は、元志多留区長の故・大平登志彦さんから借りて切り開き、木々の中に埋もれていた段々畑(約3アール)で年に1回、対馬在来のソバ「対州(たいしゅう)そば」の種をまいている。
 今年は8月25日朝、段々畑のうち約1.5アールで木庭作を実施。同実行委の会員や地元住民ら15人が参加し、事前に刈っておいた雑木や草に火入れした。当日は時折小雨の降る中、乾いていた草木は次々と燃え広がり、畑には肥料となる灰が残った。その後、土を耕して灰をすき入れ、約4キロのソバの種をまいた。
 同実行委の神宮会長(74)は「山地の斜面は平地と比べて日照時間が長く、昼夜の寒暖差もあってソバ作りに向いている。忘れ去られた木庭作を普及させ、対馬伝統の農法として次世代につなげたい」とコメント。日本大生物資源科学部の關正貴(せきまさたか)研究員(45)は「ソバは11月上旬にも収穫し、『木庭作対州蕎麦(こばさくたいしゅうそば)』として企業や個人のサポーターに送る。今後、島内の他地域でも担い手が確保できれば木庭作復活に取り組めるといい」と話している。木庭作サポーターは、同実行委ホームページ(https://kobasaku.com/)で募集している。