福江川に架かる橋のたもとに、赤いのれんが揺れる長崎県五島市幸町の老舗食堂「栄来軒」。五島振興局や五島市役所が立ち並ぶ官庁街から少し離れた一角で、1977年から市民に愛されてきた「町中華」が30日、店主の高齢を理由に48年の歴史に幕を下ろす。
店を切り盛りしてきたのは荒木工(たくみ)さん(83)と妻の肌美子(きみこ)さん(85)。看板商品のラーメンは豚骨だけで炊き上げたスープに、工さんが作る自家製麺が絡む。丼を覆うほど何枚も重ねたチャーシューも名物だった。ちゃんぽんは、山盛りの野菜にイカやかまぼこ、きくらげを加え具だくさん。優しくも深みのある味わいが客に愛されてきた。
かつて店の川向こうには五島中央病院があり、行き交う人々でにぎわっていた。しかし、2002年に病院が移転して以降、人通りは徐々に減少。さらに新型コロナウイルス禍の影響で役所からの出前依頼も自粛され、その流れが戻ることはなかった。物価高も重なり、体調面も含めて「二人でやってきた店は二人の手で終わらせたい」と閉店を決めた。
店内には、創業当初から使い続けている年季の入った冷水器が今も稼働。テレビからは野球中継などが流れ、ぎゅうぎゅうに並べられたテーブルが客を迎える。「昭和のような雰囲気がほっとする」と常連たちは口をそろえ、気取らない温かさで客を迎え入れてきた。
工さんは、もともと親戚が経営していた市内の「来々軒」で修業を積み、その後のれん分けのような形で独立。開業当時を振り返り「病院や市役所がすぐ近くにあって、お客さんは本当に多かった」と懐かしむ。「アルバイトを3人雇っていたこともあった」と肌美子さんも振り返る。町の姿は変わったが、値上げもほとんどせず、変わらぬ味で島の暮らしに寄り添い続けてきた。
「48年間、やりきった。思い残すことはなか」と工さんが言うと「ほんと、お客さんたちに感謝しかなかです」と肌美子さん。最終日の30日まで、のれんを掲げ、訪れる客を温かく迎え入れる。
店を切り盛りしてきたのは荒木工(たくみ)さん(83)と妻の肌美子(きみこ)さん(85)。看板商品のラーメンは豚骨だけで炊き上げたスープに、工さんが作る自家製麺が絡む。丼を覆うほど何枚も重ねたチャーシューも名物だった。ちゃんぽんは、山盛りの野菜にイカやかまぼこ、きくらげを加え具だくさん。優しくも深みのある味わいが客に愛されてきた。
かつて店の川向こうには五島中央病院があり、行き交う人々でにぎわっていた。しかし、2002年に病院が移転して以降、人通りは徐々に減少。さらに新型コロナウイルス禍の影響で役所からの出前依頼も自粛され、その流れが戻ることはなかった。物価高も重なり、体調面も含めて「二人でやってきた店は二人の手で終わらせたい」と閉店を決めた。
店内には、創業当初から使い続けている年季の入った冷水器が今も稼働。テレビからは野球中継などが流れ、ぎゅうぎゅうに並べられたテーブルが客を迎える。「昭和のような雰囲気がほっとする」と常連たちは口をそろえ、気取らない温かさで客を迎え入れてきた。
工さんは、もともと親戚が経営していた市内の「来々軒」で修業を積み、その後のれん分けのような形で独立。開業当時を振り返り「病院や市役所がすぐ近くにあって、お客さんは本当に多かった」と懐かしむ。「アルバイトを3人雇っていたこともあった」と肌美子さんも振り返る。町の姿は変わったが、値上げもほとんどせず、変わらぬ味で島の暮らしに寄り添い続けてきた。
「48年間、やりきった。思い残すことはなか」と工さんが言うと「ほんと、お客さんたちに感謝しかなかです」と肌美子さん。最終日の30日まで、のれんを掲げ、訪れる客を温かく迎え入れる。