「悲惨な思い、もう誰にも」 熊本で活動する被爆者2人、長崎大生に体験証言

長崎新聞 2025/01/20 [10:45] 公開

原爆で全身やけどを負った母親のことを紙芝居で伝える石原さん

原爆で全身やけどを負った母親のことを紙芝居で伝える石原さん

  • 原爆で全身やけどを負った母親のことを紙芝居で伝える石原さん
  • 大学生を前に核兵器廃絶への思いを語る武田さん(右奥)ら=長崎市、長崎大文教キャンパス
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熊本県内に暮らす長崎被爆者2人が今月、長崎市を訪れ、長崎大の学生に被爆体験を証言した。熊本県原爆被害者団体協議会の武田賴弘会長(80)と語り部の石原照枝さん(88)。「悲惨な思いをもう誰にもしてほしくない」。被爆地を離れても核兵器廃絶と平和を願い、活動を続ける思いを語った。
 武田さんは1歳の時に長与村(当時)で被爆し、幼少期に熊本へ移住。高校時代に肝硬変を発症し、これまで前立腺がんや膵臓(すいぞう)がんなど多くの病を患った。医師に「原爆と関係ない」と一蹴されたが、武田さんは「放射線の影響を心配しながら80年生きている」と吐露。核開発が続く現状に「核戦争になれば人類がいなくなる。このままでいいのか」と学生に問いかけた。
 9歳で被爆した石原さんは、紙芝居を使って証言。爆心地に近い自宅で即死したきょうだい3人、熱線に全身を焼かれて1週間後に亡くなった母親、戦後に自身の体に相次いだ病など、原爆がもたらしたあらゆる苦しみを淡々と語った。
 差別を恐れ、被爆者健康手帳を取得したのは原爆投下から30年以上たってからだった。現在まで熊本の学校などで語り部活動を続けてきた石原さんは「長崎で何があったのか、私には伝える責任がある」と強調した。
 質疑応答で、学生の1人が原爆を投下した米国に対する感情を質問。武田さんは「難しい質問で結論は出ない」とした上で「誰が悪い、良いの問題ではなく、どうしたら核兵器廃絶が実現するかを考えることに集中し、全力を尽くしたい」と応じた。
 多文化社会学部の西田充教授が、個人的に縁があった武田さんに依頼し実現。15日、西田教授が担当する教養科目「外交・安全保障入門」で証言し、学生約80人が聴いた。
 西田教授は、授業に被爆者講話を取り入れた狙いについて「国際政治では核兵器を究極的な道具として肯定的に捉える人や、安全保障のために日本の核武装が必要という人がいる。安全保障を学ぶわれわれだからこそ、そういうことを簡単に言ってはいけないと知る必要がある」と説明した。