「おざぼし」「肩ぎん」 身に着け参列… 『消えゆく葬送文化』 長崎・古賀地区

2023/03/13 [12:00] 公開

さらし布製の肩ぎんとおざぼしを着けた濵田夫妻=長崎市古賀町

 長崎市古賀地区の浄土真宗本願寺派「福瑞寺」の檀家(だんか)に「おざぼし」「肩ぎん」と呼ばれる葬送の風習があった。どちらもさらし布でできたもので、身に着けて葬儀に参列する。20年ほど前まで続いていたが、今は目にすることがなくなった。ルーツはどこにあったのか、尋ねて回った。

 「嫁いできてびっくりしたことと言えば、お葬式のおざぼしですねえ。ここら辺でしか見たことがない」。同市古賀町の自治会長、濵田文秀さん(74)宅で妻のすみ子さん(74)を交え談笑していた時、初めて聞く単語が耳に飛び込んできた。参列した女性が白い頭飾りを着ける風習という。「ひつぎを担ぐ男性は肩ぎんを着ていてね」。同じく、さらしで仕立てた袖なしの胴衣のことらしい。
 夫妻に1993年の葬儀の写真を見せてもらった。女性の後頭部に白い飾り布が確認できる。「理由は知らないが、やっていた」「形見分けって聞いたような」「隠れキリシタンの関係とか?」。地域の何人かに聞いたが答えは出なかった。
 そこで同寺を訪れ葉山大成住職(61)に質問してみた。江戸初期の1626年に開かれた同寺。古賀に住むことがすなわち檀家になる“一村一カ寺”で、地域との結び付きが強かった。

1993年に行われた葬儀。ひつぎを持つ人が肩ぎんを着け、女性の頭におざぼしがあるのが分かる(濵田さん提供)

 葉山住職は「おざぼしも肩ぎんも、お参りの一番格式高い身だしなみだったよう。全国的にあった風習ではないか」と推測する。葬儀の場が自宅から斎場に移るにつれ、だんだん見られなくなったという。「生前から、近所の人と話しながら肩ぎんを用意したりして、にこにこしながら自らの葬式を準備。極楽浄土へ行けるという安心感があったのだろう」と懐かしむ。
 本願寺派の僧侶で、葬送に関わる歴史や文化を研究する日本葬送文化学会(東京都)の多村至恩常任理事にも写真を見てもらった。
 肩ぎんは「同宗の門徒にとって正装を意味する『肩衣(かたぎぬ)』が転じたものと思う。明確な起源は不明だが、文献で肩衣が確認できるのは江戸期から。(1686年刊行の)井原西鶴の浮世草紙『好色五人女』に記されている」と説明する。

肩衣を簡略化し現在使われている門徒式章

 肩衣は大型で持ち運びが不便なため1932年、同宗本願寺派が簡略化した「門徒式章」を制定。僧侶の輪げさのように首から提げる法具で、法要で着用する人を目にする機会も多い。多村理事は古賀地区では「式章制定後も古い伝統が残っていたのだろう」と話した。
 一方、おざぼしを見たのは初めてという。「当時は白無垢(むく)を喪服として代用していたので、頭には角隠しや綿帽子をかぶっていたと考えるのが妥当。上流階級の女性が、かぶり物をしていたことに倣ったのでは」と解説した。
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 仏様の前に出るときは、せめて身なりを整えて-。門徒である自覚と最上の敬意が風習として長く受け継がれたのは「地区内で夫婦になるケースが多かったからかも」とすみ子さん。義祖母や義母、自身のたんすには今も、たくさんのおざぼしや肩ぎんが大切に残されている。「経緯を知ると、先人の顔が浮かんできて、ますます捨てられない」。子や孫たちが集まるお盆には、葬儀の写真や現物を見せながら古里の歴史ある風習を伝えるつもりだ。