長崎空港50年

長崎新聞 2025/05/01 [10:07] 公開

半世紀前、小学4年のころ、教室の黒板の横に大きなPRポスターが貼られていた。長崎空港を上空から撮った写真の脇に、確か「世界初の海上空港」という文字があった。開港した時の熱気をうっすらと覚えている▲1969年、当時の佐藤勝也知事が大村湾の小島、箕島(みしま)を「新空港の有力候補地」と表明した。静かに営農してきた13世帯66人の島民には寝耳に水の一大事で、すぐさま反対運動が起きる▲風向きを変えたのが次の久保勘一知事だった。島に13回渡り、住民と飲み明かし、説得した話はよく知られる▲元島民のお一人に伺ったことがある。先祖代々の土地を手放すことに、言いようのないためらいがあったが、久保さんは「気持ちはよう分かる。県の発展のためなんだ」と熱く語ったという▲ある夜、久保さんは酔い、寝入ってしまった。傍らには島民への補償金額が書かれたメモが…。そんなこぼれ話がある。わざと見せるための腹芸だったのかな、久保さんは役者だったね、と元島民の方は語っていた▲島を削り、海を埋め立て、3年余りをかけてできた長崎空港はきょう開港50年。本県を訪れる「交流人口」をいかに増やすか、難問を抱える中で節目を迎えた。「県の発展のためなんだ」。これまでも、これからも、託される思いは一つだろう。(徹)