辻 竹治
辻 竹治(87)
辻 竹治さん(87)
入市被爆
=西彼長与町嬉里郷=

私の被爆ノート

異常な光景 まさに地獄

2010年5月20日 掲載
辻 竹治
辻 竹治(87) 辻 竹治さん(87)
入市被爆
=西彼長与町嬉里郷=

広島に原爆が投下された8月6日は、弟の看病のため、山口県防府市にいた。長崎に戻る電車の中で、「広島に新型爆弾が落とされ全滅したらしい」と耳にした。

当時22歳、長与村役場で働いていた。役場で仕事をしていると、突然、「ピカッ」という強烈な閃光(せんこう)を背中に受けた。長崎方面に目を向けると、きのこ雲が空高く上がっており、とっさに「伏せろ」と叫ぶと、爆風が吹きつけ、一斉に窓ガラスが割れた。すぐに長崎にも新型爆弾が落とされたのだろうと思った。

その後は、長与国民学校の救護所で救護に当たった。長崎から次々と運ばれてくる全身が真っ赤に焼けただれた人たちから、名前と住所を聞き、札にして足首に結び付けていった。地元の医者は軍医として戦地に行き不在、薬もなかった。どう治療すればよいのか分からなかったが、とにかく教室に敷いたわらの上に寝かせ、油と小麦を混ぜたものをやけどのあとに塗った。

負傷者は「水がほしい」と求めたが、与えれば死んでしまうと思い、与えることはできなかった。体中にうじがわき、痛みに悲鳴を上げ、体中から鼻を突くような強烈なにおいを放っていた。夜中になると渇きに我慢できず、救護所を抜け出し水を求めて川に行く人もいた。

息を引き取った人は学校の上にあった墓場の横に穴を掘って並べた。皮膚がべろべろにただれ、持つことさえままならなかったが、何とか抱え、足と頭を交互にし、積み重ねていった。人を人とも思わぬように扱う異常な光景はまさに地獄だった。

数日後、ようやく医者が応援に来た。長崎市の新興善国民学校の救護所に負傷者をリヤカーで送り届けると、安心して体中の力が抜けたが、鼻に残った死体のにおいはしばらく取れなかった。
<私の願い>
戦争は経済、食料、領土問題などの名目で始まるが、いかなる理由があろうとも人が人を殺すということはあってはならない。自分だけが正義と考える核抑止力は保有国のエゴだ。世界中の人々が平和のためにどうすればよいか考える必要がある。核兵器も戦争もない世界の実現を願う。

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