SNSで世界に配信する被爆証言動画の撮影に臨む松谷さん(右)=昨年12月5日、長崎市内

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ともに歩む 長崎被災協のこれから【「80」の被爆証言 動画制作始まる】 「2度と、世界の誰にも」 1人目の松谷英子さん訴え

2024/01/12 掲載

SNSで世界に配信する被爆証言動画の撮影に臨む松谷さん(右)=昨年12月5日、長崎市内

「2度と、世界の誰にも」 1人目の松谷英子さん訴え

 「80」の被爆証言を世界に-。長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)が11日発表したプロジェクトでは、証言動画の制作が動き出している。1人目は長崎原爆で右半身の自由を奪われた松谷英子さん(81)。「2度と、再び、世界の誰にも長崎のようなことを味わわせたくない」。今なお大量の核兵器が存在し、核の威嚇も繰り返される世界に向けて、そう訴える。
 先月上旬、松谷さんは長崎市内の自宅でビデオカメラを向けられていた。質問役を務める被災協の横山照子副会長(82)から「人生で苦しかったこと」を尋ねられ、松谷さんは左手を頭に当てて言った。「暑い時と寒い時には、この傷がいまだに痛むんです。人に分かってもらえないのが、やっぱり苦しかった」
 松谷さんは3歳の時に被爆。爆風で飛ばされてきた瓦が左頭頂部に直撃し、右半身にまひを負った。高校卒業後の1961年から40年近く被災協の事務員として勤務。存命の被爆者の中では、被災協との関わりが最も長いうちの1人だ。
 撮影で松谷さんは、被爆者として生きてきた苦悩を証言した。小中学校で受けたいじめ。そろばんの試験で思うような点数が取れず「原爆さえ受けなければ」と恨んだこと。やけどやケロイドがないだけで「本当に被爆者か」と何度も偏見を向けられたこと-。最後には「どこの国にも核兵器を使ってほしくない」と力強く訴えた。
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 被災協の「世界に向けた広報活動」プロジェクトチームは、こうした被爆証言や核兵器廃絶への思いなどを80人分集める計画。今月下旬には大村市で被爆者4人を撮影予定という。
 映像は貴重な証言記録として保存するほか、一部を1人20~30秒程度の「ショート動画」に編集し、ユーチューブやTikTok(ティックトック)などの交流サイト(SNS)に英語で配信する。短い動画を好む若い世代との「接点」を増やす狙いで、被災協は動画制作や英訳などでの協力者を求めている。