戦後70年・被爆70年 表現者たちは 継ぐ 9

「一日一句を心掛けている」と話す江良さん=長崎市住吉町

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戦後70年・被爆70年 表現者たちは 継ぐ 9 長崎の俳句
原爆忌平和祈念俳句大会実行委員 江良修さん
実感を素直な言葉で

2015/08/26 掲載

戦後70年・被爆70年 表現者たちは 継ぐ 9

「一日一句を心掛けている」と話す江良さん=長崎市住吉町

長崎の俳句
原爆忌平和祈念俳句大会実行委員 江良修さん
実感を素直な言葉で

8月1日、長崎市内で開かれた第62回長崎原爆忌平和祈念俳句大会。全国の中学、高校生が千句余りを応募したジュニア部門の入賞句の一つについて、参加者がこう切り出した。「良くできすぎている」

終戦の日に重ねて戦争の悲しみを詠んだ一句。「紋切り型の表現。実際に体験した人の今とかみ合っていないのでは」「戦争に行った肉親を思い浮かべたのでは」。実力作であると認めた上で、「年相応の表現」をめぐる論議が続いた。

「戦争、原爆を想像や観念でしか捉えられない時代になったのではないか。若い世代が体験をうたうのは難しい」。同部門の選評を担当した江良修さん(61)=同大会実行委員、「海程」同人=は、体験者と非体験者における表現の現実を指摘。当時の光景が自然と浮かぶ戦争体験者や被爆者の句をならうのではなく、若い世代の新鮮な感動を自由に発表する同部門の狙いを代弁した。

同大会は俳人の柳原天風子氏らが原爆犠牲者を追悼し、被爆地長崎から平和を発信しようと、1954年創設。「日本で一番早く始まり、長く続く大会」として、自身の被爆体験をうたった下村ひろし氏、隈治人氏らを輩出した。

同部門は2004年(第51回大会)に新設。毎年約230~1600余りの句が寄せられる。近年、俳句、短歌の創作が小学国語の授業に加わり、学校単位での応募も目立つ。

「5・7・5の韻律、季語を使うといった約束事はあるけれども、まず自分の思いをストレートに伝えるのが大切。日本語の伝統である五七調、七五調の韻律とリズム感を体に染み込ませてほしい」。長崎新聞ジュニア俳壇の選者も務める江良さんは、若い世代にメッセージを送る。

たまご焼甘い匂いが平和かな

アブラゼミうるさいけれど平和です

江良さんが第62回大会で選んだ2句。「自分自身の中から生まれた素直な言葉。『卵焼きを食べる食卓』や『アブラゼミが鳴く暮らし』といった実際の風景が浮かんでくる」。日常で実感する平和を詠むことで、戦争、原爆の記憶を俳句で長くとどめる可能性を見いだす。

戦争体験者が日本の全人口の「20人に一人」となり、被爆者の平均年齢は80歳を超した。高齢化に伴い、俳句に親しむ人の減少も避けられない。戦後生まれの江良さんは、40代半ばから俳句を始めた。「人に伝えたい情景を工夫して表現しようとするが、言い過ぎても舌足らずでもいけない。そのすり合わせが面白い」。自身の今を研ぎ澄ましてきた年月を通し、戦争、原爆をめぐる観念的な表現を乗り越える言葉の力を感じている。

「疑似体験を自分のものとして表現するのは違うだろう。新しい言葉がつくられ、使われなくなる言葉があるように、時代によって生まれ変わる言葉をうまく組み合わせれば、無限に近い俳句を作ることができるだろう」