戦後70年・被爆70年 表現者たちは 継ぐ 6

「林先生の文学は被爆を人間の問題として伝えている」と話す中島さん=県立西陵高

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戦後70年・被爆70年 表現者たちは 継ぐ 6

2015/08/17 掲載

戦後70年・被爆70年 表現者たちは 継ぐ 6

「林先生の文学は被爆を人間の問題として伝えている」と話す中島さん=県立西陵高

「被爆を個人の体験ではなく、命や人間全体の普遍的な問題として昇華させている」。長崎市内で被爆した体験を基に作品を書き続ける芥川賞作家の林京子さんについて、県立西陵高の国語教諭、中島恵美子さん(54)はこう語る。読み継いでいきたい作品には、「祭りの場」(1975年)と「長い時間をかけた人間の経験」(99年)を挙げた。

中島さんは2008年4月から4年間、県立長崎図書館の指導主事として、本県ゆかりの文学に関する企画展、講演会の開催や調査研究に携わった。それをきっかけに林さんの作品にあらためて触れ、本人とも親交をもった。

10年夏、図書館講座の講師として林さんが帰郷。物事の本質を突く語りに洞察力の鋭さを感じるとともに、「凜(りん)とした品格があり、優しさと慈愛に満ちた方」だと言う。

「祭りの場」は、林さんの体験を基に被爆の実相を生々しく描き、芥川賞を受けた。中島さんは「原爆投下から30年経ち、さまざまな資料を参照しながら被爆と一定の距離を置いて書かれた。重層性があり、訴える力の非常に大きな作品」と語る。

学徒動員で爆心地から1・3キロの三菱兵器大橋工場で働く「私」。職場の前の広場では、出征する学徒を送別する踊りが連日あった。あの日も。「ありがとう-出陣学徒が敬礼する。また逢おう-送る学徒が礼を返す。粗末な、心のかよう青春の哀悼の祭りである。最後にみた送別の踊りの輪は、送る者送られる者、みんな死んだ」-。中島さんは「青春を一瞬で断ち切られたその思いを若い人に感じてもらいたい」と話す。

「長い時間を-」は、林さんが「被爆者として生きてきた年月の総決算のつもりで書いた」と言う作品。終戦から半世紀以上がたち、お遍路の旅に出た主人公が自身や友人らの被爆後の人生を振り返りながら、「生きる、ということは何なのだろう」と考える。

「この作品を読んで、原爆の悲惨さのみならず、自分や子、孫がいつ原爆の影響かもしれない病気を発症するか、遺伝子レベルでつながる恐怖、時間的な長さに思い至った。本当に恐ろしいと思った」。中島さんはそう話し、「同作には時間、空間を超えたグローバルな普遍性がある」と指摘する。

「文学は事実ではなく真実を伝えるもの」と言う中島さん。「林先生の文学には戦争、被爆というできごとから、生きるとは、命とはを問い掛け、人間の真実を伝える力がある」。原爆をテーマに、長崎に大きく貢献した作家。「被爆地の県民として、読む必要がある」