核超大国で伝える NPT・訪米報告 1

被爆と長い入院生活の影響でえぐれた胸などをルイス君と母親に見せる谷口さん(左)=4月28日、米ニューヨーク

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核超大国で伝える NPT・訪米報告 1 実態
「原爆 知らないのはなぜ」
投下国で現れる「壁」

2015/05/19 掲載

核超大国で伝える NPT・訪米報告 1

被爆と長い入院生活の影響でえぐれた胸などをルイス君と母親に見せる谷口さん(左)=4月28日、米ニューヨーク

実態
「原爆 知らないのはなぜ」
投下国で現れる「壁」

4月28日、米ニューヨークのホテルの一室。長崎原爆被災者協議会会長の谷口稜曄(すみてる)さん(86)は、少年とその母親に向き合っていた。

「どれくらい熱かったの、痛かったの」-。小学4年のローレンツ・ルイス君(9)の質問に、70年前を思い出しながら答えた。「魚が焼けるまで時間がかかるでしょ。でも、原爆は一瞬で皮も肉も溶かした。私も痛みを感じる度合いじゃなかった」

30分の約束だった”取材”は、3時間に及んだ。シャツを脱ぎ、やけどの痕が痛々しい背中や、心臓の鼓動がはっきり見えるほどえぐれた胸も見せた。ルイス君は顔をこわばらせた。

被爆者は長い歳月にわたり、きのこ雲の下で何が起きたかを国内外で証言してきた。それでも核兵器の具体的な非人道性がほとんど伝わっていない状況がある。「私は年老い、5年先すら見えない。でも生きているうちに核兵器廃絶の実現を見たい」。谷口さんはルイス君の疑問に応えようと語り続けた。

ルイス君は昨年5月、母の祖国日本を旅行した際、広島の原爆資料館を訪れた。黒焦げの死体など初めて見る写真や、「われわれはモルモット扱いにされた」という被爆者の証言にショックを受けた。帰国後、友達に話したが原爆のことは誰も知らなかった。被害について書かれた本も見当たらなかった。

「真珠湾攻撃やナチスのユダヤ人大虐殺はみんな知っているのに、原爆を知らないのはなぜ」。疑問は膨らみ、被爆者のことをもっと調べて、伝えたいと思うようになった。

熱望した谷口さんへの”取材”が実現した後、そのことを小学校で発表。だが途中で「怖がらせないで」として校長に止められた。「理由がよく分からない。もう少し話したかったな」。ルイス君は不満げだ。

谷口さんは、深くため息をつく。「原爆被害を伝えようとすると、米国ではあらゆる所に壁が現れる」。そしてこう続けた。「だが、それを乗り越えて、知ろうとしたり伝えようとする子どもが米国にもいる。希望の光と思いたい」

核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ、被爆者ら約100人が長崎から現地へ渡り、核兵器のない世界の実現を訴えた。被爆から70年。核廃絶実現の鍵を握る核超大国・米国で、被爆者は何を伝え、見つめたのかを報告する。