「語り」の風景
 =被爆61年をすぎて= 7(完)

被爆者らに質問形式で平和学習を試みた横尾中1年生=7月7日、長崎市内

ピースサイト関連企画

「語り」の風景 =被爆61年をすぎて= 7(完) 聞き手 新しい言葉の証言を

2006/09/03 掲載

「語り」の風景
 =被爆61年をすぎて= 7(完)

被爆者らに質問形式で平和学習を試みた横尾中1年生=7月7日、長崎市内

聞き手 新しい言葉の証言を

「原爆で両親を亡くした子どもたちは、どうやって生活したのですか」

「原爆や戦争の本当のつらさは何だと思いますか」

七月七日、長崎市立横尾中一年生の校外平和学習。生徒たちは五つの班に分かれ、被爆者や大学教授ら十四人に二十五の質問をぶつけた。普段は被爆者らの話を一方的に「聞く」側の生徒だが、今回は「問い掛ける」側に回る初めての試みだった。

「聞いたことを県外の人や次の世代に伝えたい。だから今、勉強することが大事」。下川璃紗さん(13)は感想を語った。担当の山本直子教諭は「聞きたいことを直接、尋ねてみる。ノートを何回も読み、録音したテープを何回も聞く。その過程で問い掛けへの答えが深まるはず」と狙いを話す。

「『被爆して大変な目に遭った。二度とこんな目に遭ってはいけない』。どこかで聞いたフレーズ。原爆というパターンの受け継ぎにすぎない」。

原爆文学を研究テーマの一つに据える長崎総合科学大の横手一彦教授(47)は、被爆体験の継承に厳しい見方を示す。「証言活動は限界に達している。生身のアピール力がなくなっているからだ」

六月二十一日、長崎市内在住の男性被爆者を同大の特別講義に招き、体験を聞いた。男性は被爆直後、故・永井隆博士がいた如己堂前で暮らしていた。

「馬の肉もヘビも食べた」「たくさんの死体を運び、火葬した」「どんなにお腹がすいても、人の家の中の物には手を出さなかった」。男性は極限下に置かれた人間の生きざまをさらけ出した。そこには、今までにない新しい言葉があった。

横手教授は男性が被爆した一九四五年八月九日から、その後の生活を事細かに問い掛けることで新しいパターンの「証言」を聞き取るつもりだ。

「あと十年しか聞くことができない」。横手教授は、年齢的に語ることができない時期に差し掛かっているのは「被爆者だけではない」と言い切る。沖縄戦の体験者、シベリア抑留者、東京や佐世保などの空襲体験者も同じだという。

「非当事者が当事者に向き合い、これまでの語りを踏まえ、新しい言葉を引き出す。それが当事者ではない私たちに課せられた使命」。横手教授は被爆者に問い掛け、未来に語り継ぐ言葉を残そうとしている。