被爆60周年へ
 =ナガサキの課題= 6

三原小の教諭が公開授業をした平和教育研究発表会=11月17日

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被爆60周年へ =ナガサキの課題= 6 平和教育 試行錯誤しながら実践

2004/12/01 掲載

被爆60周年へ
 =ナガサキの課題= 6

三原小の教諭が公開授業をした平和教育研究発表会=11月17日

平和教育 試行錯誤しながら実践

八月九日。長崎市立三原小の森田幸一教諭(40)はクラスの五年生を連れて爆心地公園に足を運んだ。「目を開けてごらん」。十一時二分、黙とうが終わる少し前、子どもたちに声を掛けた。全国、海外から集まった千人を超える人々が目を閉じて静かに祈る。「なぜこの人たちが今、“ここ”に集まり、こうべを垂れているのか。一緒に考えたかったんです」

同校は本年度までの二年間、市教委の研究指定校として平和教育の実践に力を入れている。恵の丘長崎原爆ホームの入所者との交流、学校に招いた被爆者との触れ合い―。十一月十七日には校内で平和教育研究発表会を開き、各校の平和教育担当者らに二年間にわたる実践経過を報告した。

その中心となった森田教諭。母は、原爆で両親と弟三人を亡くした。「(あなたの)おじいちゃんは真っ黒焦げになっていた。おばあちゃんは自宅で死んでいた…」。こんな話を小さいころから繰り返し聞かされて育った。

「周りの人より原爆は身近な存在だったと思う」。だが、それでも戦争や原爆をじかに知らない自分が、家族や肉親を失った悲しみや苦しみを子どもたちに伝え切れているのかどうか、不安が付きまとう。

森田教諭は今夏、子どもたちに一本のビデオを見せた。地元の放送局が母の体験を基に制作したテレビ映像だった。「原爆を少しでも身近に感じてほしかった。母が悲しみを乗り越えて生きたからこそ、目の前にいる私の命が存在していることも」

次の総合学習では、原爆投下当時、母の隣に住んでいた被爆者を教室に招いて話を聞いた。想像と実体験、過去と現在、被爆者と戦後生まれ。「“距離”は縮まった」。森田教諭は子どもたちの真剣なまなざしに確かな手応えを感じ取った。

だが近い将来、そんな被爆者もいなくなる。

「ビデオや書物では語り尽くせない被爆者の思いがあると思う。私たちの心にしか残せないものが。それを未来にどう語り継いでいくのか。とても難しい問題だし、限界はあるかもしれない。でも、最大限の努力を続けたい」。教壇に立つ「先生」の悩みと試行錯誤が続く。