来日の壁 在韓被爆者リポート 下

平野さんの呼び掛けにも、力なく手を握り返す崔季〓さん=韓国・釜山市

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来日の壁 在韓被爆者リポート 下 崔季〓[※注1]さん 不遇の人生歩み続け

2004/03/21 掲載

来日の壁 在韓被爆者リポート 下

平野さんの呼び掛けにも、力なく手を握り返す崔季〓さん=韓国・釜山市

崔季〓[※注1]さん 不遇の人生歩み続け

「父が働けない体になり、ずっと家族みんな苦労してきた。原爆に遭わなかったら、私たちはもっと豊かだったはず」。崔美淑(チェミスク)さん(40)=韓国・釜山市=は、早口で言った。

美淑さんは、被爆者援護法に基づく健康管理手当申請の却下取り消しを求め、長崎地裁に先月提訴した崔季〓(チェゲチョル)さん(77)=同=の六女。

「崔さんは一九七五年の調査当時も重症だった」。こう振り返るのは「長崎の証言の会」代表委員だった故鎌田定夫さんの妻、信子さん。不遇の人生を歩み続けた崔さんを知る一人だ。

鎌田さんらは同年、在韓被爆者調査団として、足や腰の痛みに苦しむ崔さんと出会った。七六年、股(こ)関節に人工関節を入れた崔さんの手術は、鎌田さんら支援者の尽力で実現した。

それから二十八年。崔さんの人工関節は老いた体と合わなくなり、寝たきりの生活を余儀なくされている。ほおがこけ、青白い顔。やせ細り、ひどい床ずれ。体を動かすたびに、うめき声を上げる。

「夫は二年以上、家から一歩も外に出ていない。私も夫の介護で仕事を辞めてしまい、収入もない」。妻の白楽任(ペクラクイム)さん(75)は訴える。今月十三日、見舞いで訪れた在外被爆者支援連絡会(長崎市)の平野伸人さんの声にも、崔さんは、目をかすかに開けるだけだった。

在外被爆者に手当支給が始まる直前の昨年三月、平野さんは崔さんに来日を勧めた。だが、会うたびに衰弱していく姿を見て、あきらめた。

日本政府は在外被爆者への手当支給に、来日しての申請を求めている。「来日の壁」だ。日本に来ることができない被爆者はどうなるのか―。そう怒り、裁判を起こした崔さんを、平野さんは心配する。「裁判が決着するまで崔さんの命が持つだろうか」と。

平野さんは崔さんの裁判と並行して、来日できない在韓被爆者に車いすやベッドを贈る支援も進める。「もう崔さんだけの問題ではない。法律だけでも解決できない」

【編注】〓は「徹」の「ぎょうにんべん」が「さんずい」