戦争を語る まちの資料館 4(完)

「平和はひとりで歩いてこない」。悔悟の先に理想を見つめる藤原さん=北松吉井町田原免

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戦争を語る まちの資料館 4(完) 平和祈念館天望庵 悔悟の先に理想求め

2000/08/14 掲載

戦争を語る まちの資料館 4(完)

「平和はひとりで歩いてこない」。悔悟の先に理想を見つめる藤原さん=北松吉井町田原免

平和祈念館天望庵 悔悟の先に理想求め

爆撃で廃虚と化した佐世保市街地の写真、弾痕生々しい鉄かぶと、反戦映画のポスター、核の配備状況を示す世界地図。戦前戦後を問わず、戦争に関する多彩な資料を展示している。

「敵弾を受けて死んだ兵士の形見を戦友が持ち帰ったものです」。主人の藤原辰雄さん(73)が血染めの日章旗を示した。全国各地から元軍人や遺族が訪れ、思い出の品々を託してくれたという。

藤原さんが参加する市民団体「佐世保空襲を語り継ぐ会」が一九七九年、佐世保市に市営の平和祈念館建設を請願したが、市の反応は鈍かった。ならばと、北松吉井町の中心部から少し離れた丘の上に、自らの退職金をはたいて開館した。「自分と同じ過ちを次世代の人々に犯してほしくない」。藤原さんを駆り立てたのは悔悟の念だった。

■中学の教壇に

四五年、「生粋の軍国少年」は、広島の海軍兵学校で飛行班に在籍。いずれは特攻隊に入る身だった。「殉死した先輩たちにあこがれた。なぜ、と考えもしなかった。恐ろしいほどの異常心理。戦争は人間を人間でなくしてしまう」

敗戦直後に襲われた虚脱感から抜け出せないまま帰郷、知人の紹介で中学校の教壇に立った。学校は、暴力や差別がまかり通った軍国教育から、人権や平和を重んじる「新教育」へと変わっていた。藤原さんは、子供に教える前に、自分自身と向き合い、考えの再構築を迫られた。

平和教育や、反戦・反核を訴える市民運動に身を投じ、半世紀が過ぎた。だが、冷戦後も地域紛争は絶えず「わが国は(有事法制化とともに)再軍備の道を歩んでいる。危険は国民の知らない水面下で進行している」。連戦連勝を報じる大本営発表に気勢を上げたあのころがだぶる。

■悲しみと希望

核兵器はもちろん、安保も基地も国境もいらないと思う。今の為政者は信用できないが、人同士がもっと信頼できれば争いはなくなるはず。だから、外出しても入り口にはかぎを掛けない。「実現性に乏しい一国平和主義」とやゆする声を聞く。田舎の小さな館にどれだけ平和を導く力があるのか、分からない。

見学者が全く来ない日が続くこともあるが、最近、地元中学生が平和学習で訪ねてくれるのがうれしい。平和講義や展示資料の貸し出し依頼にもこたえている。理想を強制はしないが、共鳴してほしいと思う。

「平和はひとりで歩いてこない。みんなの力でつくりましょう」。館内の片隅に一筆したためた自身の思い。多くの人々の悲しみや希望の詰まった展示物に後押しされながら、藤原さんは理想を語り続ける。

=おわり=
◆メモ
一九八八年開館。「天を望みて不戦を誓い…」という自作の詞から命名。隣接のギャラリーには、自作のはにわや妻幸子さん(74)の油絵などを展示。入館無料。〒859-6314、北松吉井町田原免883、