暮らしの中の原爆遺構 4

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暮らしの中の原爆遺構 4 深崇寺・傾いた本堂 =長崎市寺町・爆心地から3.4キロ= 天井も崩れ落ちた

2000/08/07 掲載

暮らしの中の原爆遺構 4

深崇寺・傾いた本堂 =長崎市寺町・爆心地から3.4キロ= 天井も崩れ落ちた

寺院が立ち並ぶ長崎市の寺町。その一画に約四百年の歴史を持つ深崇寺がある。寺町通りから石段を上り境内に入ると、原爆投下の影響で後方に傾いた本堂が見えてくる。
本堂は当時、長崎市内の三菱兵器工場の工員の寮だった。県立長崎中学校二年生だった同寺の前住職、加藤乘奎さん(68)は八月九日の朝、庭にいた。原爆投下。「B29の飛ぶ音が爆撃に聞こえ、家の中に逃げ込んだ。間もなく外がぴかっと光り、家が揺れた」と当時の状況を振り返る。本堂正面入り口の柱にひびが入り、天井も崩れ落ち建物が傾いた。

終戦の翌年には瓦(かわら)をふき直し、ひびの入った柱をボルトで締めるなどの応急処置をした。二年前にも、被害が最も大きかった本堂の内陣に四本の柱を建て補強をした。天井裏の梁(はり)が下がってきたからだ。

それでも本堂と住居をつなぐ廊下の玄関の柱には、爆風で吹き飛んだガラスの破片が今もめり込んだまま。爆風の影響で傾き、戸がしっかり閉まらない部屋もある。

「原爆の悲惨さは知っている。もう二度と同じことが繰り返されてはいけない」。加藤さんは半世紀以上前の原爆のつめ跡を見詰めながらそうつぶやいた。