昭和の波佐見焼4000個発掘 戦時中の統制で埋めたか? 陶器まつりで販売へ

2022/04/06 [12:00] 公開

器を掘り出す参加者。ご飯茶わんは幾重にも重なった状態で出てきた=波佐見町小樽郷、高山

 長崎県東彼波佐見町小樽郷の窯元「高山」で、敷地内に埋められた昭和10年代の波佐見焼約4千個が見つかった。戦時中の経済統制下、何らかの理由で隠されたものとみられる。同窯4代目で、高山アドバイザーの高塚英治さん(67)は「当時の社会情勢とはいえ、祖母らは断腸の思いで埋めたのでは」と思いをはせた。
 波佐見焼が見つかったのは、3日にあった掘り起こしイベント。約50人の焼き物ファンが地表から30センチ掘り下げると、重ねられた状態の茶わんが姿を見せた。幾重にも重なっており。約2時間の作業で全て見つけることはできなかった。
 ほかに明治~昭和期の器の破片も出土。家族で参加した佐世保市の前田真実子さんは「80年も当時のまま残っていたのはすごい」と目を細めた。
 太平洋戦争開戦前の1941年10月、計画生産や規格統一、不要不急品の製造抑制などを政府が陶磁器の業界団体に通達。波佐見でも規格に沿った器が焼かれたほか、水筒や手りゅう弾容器なども製造したという。
 同窯は33年、波佐見の四皿山の一つ、永尾山から移転。高塚さんによると、祖母から「戦時中の生産調整で2窯分の器を、わらを敷き詰めて埋めた」と聞かされていたという。

掘り出された茶わん。直径約11センチ高さ6センチと小ぶり

 出土した茶わんは、いずれも藍色で葉や線など簡素な模様が筆書きされるなど当時の特徴がみられる。町教委の中野雄二学芸員は「言い伝えと出土品が一致したことは意義深く、波佐見焼の歴史を物語る」と述べた。
 同窯の担当者は「手書きのいい器を無駄にしないよう、状態のいいものは使ってもらいたい」としており、大型連休中に開かれる波佐見陶器まつりで販売する予定。