「戦時下」を見詰める日

2020/12/08 [09:38] 公開

 県立高校などの元教職員でつくる会はこれまで、100号を超える会報誌を出してきた。長崎市にお住まいの元高校教師で被爆者の池崎善博さん(81)は戦争にまつわる文を寄せている▲3度にわたり「原爆当日までの生活」「原爆に遭った日のこと」「終戦後の生活」について書いた。往時の教え子のお一人が、それらを冊子にまとめてくれたという。小欄にも頂いた▲被爆の証言は数あるが、終戦前後の記録は少ない。そう考えて文字にした「戦時下の日常」は、今の日常から程遠い。トンネル式の車庫を見ると防空壕(ごう)を思い出し、今も〈言いようのない恐怖が頭の中を駆け巡ります〉と池崎さんは書いている▲終戦の年に6歳、国民学校の1年生で、いつ警戒警報、空襲警報のサイレンが鳴るかと、子ども心に不安だった。警報が鳴れば、真っ暗な壕でひざを抱え〈息を殺して飛行機が去るのをひたすら待つのです〉▲二十数ページの冊子では、原爆の爆風で自宅がめちゃくちゃになり、家族や親類で避難したこと、終戦後の食糧難-と、ここではとても書き切れないが、戦中から戦後へ線をつなぐようにつづられている▲きょうは「日米開戦の日」で、太平洋戦争の火ぶたを切って79年になる。1本の線の始めに当たる日を、「戦時下」とは何か、じっと見詰める日にしたい。(徹)