カズオ・イシグロ氏と「団地」 モデルは長崎? 幼少期にあった同タイプ現存

2020/10/21 [12:20] 公開

旧魚の町団地(県提供)

 長崎市出身でノーベル文学賞作家のカズオ・イシグロ氏の作品に、繰り返し登場しているのが「団地」。1954年生まれのイシグロ氏は、5歳で渡英するまで同市新中川町に住んでいた。専門家は「モデルとなった団地が長崎にあったのではないか」と分析する。イシグロ氏と団地との関係を探った。

 「太郎と紀子が住んでいる団地の一室は、四階の小さな二間の間取りで、天井は低く、隣近所の物音が入ってくる」。こんな描写が日本を舞台にした小説「浮世の画家」にある。また、戦後の長崎を舞台にした小説「遠い山なみの光」にも、「どのアパートの部屋もそっくりだった。床は畳で、風呂場と台所は洋式」などのくだりがある。
 イシグロ作品の研究者、岐阜薬科大の武富利亜教授(英米文学)は「団地にはイシグロ氏のこだわりのようなものを感じる」と話す。
 イシグロ氏の幼少期、既に長崎にあった団地の一つが今も現存している。同市魚の町の路面電車通り沿いの近くにある「旧魚の町団地」(24室)だ。48年度に建てられ、2018年度まで県営住宅として使用。現在は閉鎖している。
 鉄筋コンクリート造り4階建て。各戸の間取りは8畳、6畳の和室、台所、トイレなど。地下倉庫もあるのが特徴。浴室は無かったが1978年に増築された。
 団地が建築されたのは、戦後の住宅不足が背景にあった。同市の原爆被爆者対策事業概要などによると、戦前の同市の住宅戸数は約5万1千戸だったが、原爆で1万8409戸が破壊された。戦後、疎開先から戻ってくる人や引き揚げ者らで急激な人口増加が起こり、深刻な住宅不足に陥ったという。
 長崎大の安武敦子教授(建築計画)によると、戦後は木造住宅より不可燃の建築が重視されていく。48年度には、旧魚の町団地と間取りなどが同じタイプの約1700棟が全国の都市に整備された。
 武富教授は、イシグロ氏が幼少期に何らかの形で当時の団地を目にしていたと分析。48年度に造られた団地で現存が確認されているのは長崎、広島、下関各市の3棟だけ。そのうちの一つである旧魚の町団地は、イシグロ氏が見た団地を想像する上でも、貴重な建築物といえそうだ。武富教授は「友達や、両親の友人などが住んでいて、遊びに行った可能性もある。団地は復興の象徴として誇らしい気持ちにさせたかもしれない」と推測する。
 今月10日、同市内で、レトロな建物を訪問し活用方法などを考える催し(長崎ビンテージビルヂング実行委主催)が開かれ、旧魚の町団地の見学会もあった。部屋の中や屋上を公開。参加した市民ら約60人は、イシグロ氏と団地に関する説明を受け、イシグロ氏の幼少期の原風景に思いを巡らせた。
 同団地の今後の取り扱いについて、県住宅課は「現時点で具体的な方針は決まっていない」、武富教授は「貴重な建物のため、残してほしい」と話している。

旧魚の町団地の部屋を見学する参加者=長崎市魚の町