旧火葬場に「慰霊の碑」 救護被爆、史実のシンボル 諫早・百日紅公園 

2020/08/09 [16:00] 公開

「慰霊の碑」に手を合わせる児童ら=諫早市、百日紅公園

 長崎原爆直後、諫早市で息絶えた犠牲者が荼毘(だび)に付された天満町の百日紅( さるすべり )公園内に「慰霊の碑」が8日、建立された。諫早での救護被爆の史実を伝える“シンボル”が被爆から75年の時を経て、市内外の被爆者と被爆2世、市民の募金で生まれた。
 同公園は原爆投下当時、市営火葬場。長崎原爆戦災誌(長崎市刊行)によると、約400~500人を葬った。諫早市原爆被災者協議会長だった清水多喜男さんは遺体運搬や火葬に携わった経験があり、同公園への碑建立を切望。長崎原爆被災者協議会(田中重光会長)や長崎被災協・被爆二世の会・諫早(森多久男会長)とともに今年から募金を始めたが、清水さんは5月15日、93歳で病死した。
 碑は台座を含め、高さ約2メートル。御影石に「慰霊の碑」と刻んだ。8日の入魂式と慰霊祭には、宮本明雄市長や募金に協力した鎮西学院の栗林英雄理事長、長崎被災協の小峰秀孝副会長ら約50人が出席。鎮西学院高生ら4人が千羽鶴を碑に手向け、体験継承を誓った。
 森会長(65)が清水さんの被爆体験を朗読し、「ここで起きたことを知り、思いを伝えたい。清水さんに見届けてほしかった」と述べ、清水さんの長女の夫、鳥巣安則さん(69)は「父は最期まで碑を気にしていたので感無量」と話した。
 二世の会は、年2回の同公園の清掃や慰霊祭を継続する。建立募金は約40人・団体から約130万円。来年8月の慰霊祭で募金協力者を記した銘板を碑に設置する。