幻の「島原木綿」次世代に 保存会30年、伝統の縦じま継承

2020/02/13 [00:04] 公開

結成30周年を今春迎える島原木綿織保存会の金子会長(前列左から2人目)ら会員=島原市有明町、有明公民館

 400年以上の歴史がありながら、戦時中に衰退し、幻の反物とも呼ばれた「島原木綿」づくりを継承する「島原木綿織保存会」が、1990年4月の発足から今春、30周年を迎える。金子加代子会長(76)は「伝統の縦じまに思いを乗せ、祖先に感謝しながら次の世代につなげていきたい」と意欲を語る。

 島原木綿は藍染めの趣深いしま模様が特徴で、長崎県島原市の無形民俗文化財にも指定されている。同保存会によると、江戸時代から農漁業の副業として、現在の同市有明町の大三東や湯江地区、三会地区などで、女性の内職として織られていた。
 明治になると、手織りから工場での機械織りに移行した。品質の良さから大正期には年間17万反を生産する一大産業となり、関西、朝鮮半島にも販路を広げた。しかし、昭和初期の世界恐慌で生産量が減少。第2次世界大戦開戦後の綿糸不足と機織り機の金属接収で生産は途絶えた。戦後は化学繊維の登場などもあり、再興はならなかった。
 転機は1987年。旧南高有明町に完成した歴史民俗資料館に、町内に残っていた手動式織り機が寄贈。町教委が開いた木綿織り教室に参加した10人が90年に保存会を発足させた。金子会長は「織り子だった高齢女性3人のほか、郷土史家や行政など多くの協力で再現できた」と振り返る。
 現在の会員は30~70代の9人。高さ160センチ、幅80センチ、奥行き130センチ前後の手織り機9基が並ぶ有明公民館の一室に週3回集まる。伝統を受け継ぎながら新たなデザインの反物も生み出す。着物などに加え、名刺入れやペンケースなども制作。県展などに出品するなど、技術向上や島原木綿の魅力発信に取り組む。
 機織りは「カシャン、カシャン」という音を響かせながら、上下各420本ずつ張った経(たて)糸の間に緯(よこ)糸を通し織り込んでいく。完成までは17工程。年に3~4反ほどを仕上げていく。
 島原木綿の魅力は「1本でも間違ってはいけない」という先人の人生訓が込められている縦じま。金子会長は「同じ藍色でも、織り手によって作品はそれぞれ違う。自分の思いを乗せ、しま模様を織ることができるのは幸せ」と話す。
 保存会は15、16両日開かれる「有明公民館まつり」に出展。着物を展示するほか、機織り体験もある。

藍染めの趣深いしま模様が特徴的な「島原木綿」の反物