カンボジアに工場設立 九十九紙源センター

2019/09/26 [00:12] 公開

「貧困に苦しむカンボジア人を支援したい」と語る椋野氏=佐世保市卸本町、九十九紙源センター

 「日本とカンボジアの懸け橋になりたい」。
 リサイクル業の九十九紙源センター(長崎県佐世保市吉岡町)は8月、カンボジアの首都プノンペンに古着の選別工場をつくった。海外進出は初めて。創業者で代表取締役社長の椋野顯成(けんせい)氏(85)は「利益の一部を、貧困に苦しむカンボジア人のために役立てたい」と思いを語る。

 1983年に創業。古紙の回収、分別などを手掛けている。2005年には古着の回収、販売も開始。現在は県内や佐賀、熊本に9店舗を構える。
 国内の人手不足などを背景に、20年ほど前から海外進出を模索。今年1月から拠点になる国を探し、経済成長が期待できるカンボジアに決めた。
 8月に関連会社「九十九インターナショナル」を立ち上げ、現地で従業員11人を採用。工場で日本の古着をクリーニング、選別をして現地住民に販売を始めた。10月からはタイやベトナム、ラオスなどへの輸出も始める予定で、さらなる販路拡大を目指す。
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 椋野氏はカンボジアの貧困支援にも強い意欲を示す。背景には、貧しい生活を送った自らのつらい過去がある。
 1934年、福岡県に生まれた。当時は食糧難で、生きていくために盗みを繰り返した。学校には通えなかった。
 16歳のとき、借金が原因で佐賀の家を差し押さえられ、家族とともに夜逃げ同然で佐世保市に移った。それから2年8カ月もの間、市内の防空壕(ごう)で生活。18歳で松浦市の炭鉱に就職し、米海軍佐世保基地などでの勤務を経て、48歳で起業した。
 「人の3倍働き、人の3倍頭を使う」を信条に、寝る間を惜しんで仕事に打ち込んだ。疲労がたまり、61歳のころにはうつ病を患った。不眠や幻覚などで2年間苦しんだが、従業員に隠して働き続けた。「今の時代には逆行しているが、自分は一生懸命働いているほうが元気になる。あのころの頑張りがなければ、今の会社はない」
 現在も、自ら陣頭指揮を執る。「カンボジアには、かつての自分と同じように貧困に苦しみ、教育を受けられない人がいる。利益の一部をその人たちのために使い、恩返しをしたい」。新たな目標に向け、挑戦を続ける。