カネミ油症51年 被害者の高齢化 「せめて下の世代の救済を」 新認定訴訟の元原告団長

2019/05/19 [09:36] 公開

新認定訴訟の記録などを書き留めたノートをめくる古木さん=五島市内

 カネミ油症事件は昨年、発覚から半世紀が過ぎた。だが、診断基準の見直しや安定的な医療補償など主要な課題は未解決のままだ。本格救済への道筋が見通せない中、高齢化が進む被害者の間には焦りといら立ちが広がっている。現状を取材した。

 ■未認定の歳月

 5月中旬、長崎県五島市内の老人ホーム。個室のベッドに、油症被害者の古木武次(ふるきたけじ)さん(89)は腰掛けていた。傍らには油症の記録がびっしりと書き込まれた数冊のノート。かつて、北九州市のカネミ倉庫を相手取った「新認定訴訟」(2008~15年)の原告団長を務めた。「私はもう、いくばくもない。ただ子どもたちや若い人ら下の世代は何とか救済を…」

 未認定患者として過ごした長い歳月。そして、厚かった司法の壁-。油症に翻弄(ほんろう)された半生をたどるように、少し震える手でページをめくった。

 1968(昭和43)年。当時38歳の古木さんは、奈留島の小集落に妻と息子4人の6人暮らし。妻は5人目の男の子を妊娠していた。島内の個人商店で一斗缶の米ぬか油を買い、家族で食べた。半分ほど使った頃、親戚に「悪い油だ」と教えられ、中身を捨てた。

 妻や息子に吹き出物が現れていた。しかし詳しい情報は集落に届かず、体の異変は長らく油症と結び付かなかった。古木さんが油症検診を受けるようになったのは80年代以降。息子たちの就職や結婚への影響を恐れ、妻と2人だけで毎年のように受診したが、認定診査で却下され続けた。家族の医療費が家計に重くのしかかった。

 2004年、油症の主因ダイオキシン類の血中濃度が診断基準にようやく追加され、古木さんは新基準により認定。妻と三男も順次認められたが、既に油症発覚から40年近くが経過していた。

 その後、12年成立の救済法で、発生当時、認定患者と同居していて症状がある家族を油症患者とみなす「同居家族認定」の新規定により、長男と次男、四男が認定。しかし母親のおなかにいた五男だけは出生前という理由で同居家族とされず、未認定のままだ。

 80年代までの一連の訴訟が終わった後に認定された古木さんら被害者たちは08年、カネミ倉庫などに損害賠償を求め提訴した。この新認定訴訟の原告団長に、奈留町議などを経験した古木さんが選ばれ、原告約50人を率いた。提訴当時78歳。きつい体をおし、裁判所での意見陳述や陳情活動に取り組んだ。「持っている知能は全て出し尽くした」

 しかし13年、一審の福岡地裁小倉支部は非情な判決を下す。不法行為による損害賠償請求権が20年で消滅するという「除斥期間」を採用し、訴えを退けたのだ。被害者の権利は89年末にはなくなっていたとして、カネミ倉庫を免罪。「団長として、責任を感じた」。40年近く油症認定すらされず、長い“空白期間”を苦しみながら歩んできた古木さんら原告たちは、ぼうぜんとするしかなかった。

 ■祈ることしか

 判決後、古木さんは体調不良で団長を退任。2015年、最高裁で原告の敗訴が確定した。認定されるまで自己負担して払い続けた医療費は一切戻らず、むなしさだけが残った。

 被害者運動からも身を引いた古木さん。自らの救済は「断念するしかない」が、子どもたちの将来には不安が付きまとう。

 ダイオキシン類は、母の胎盤や母乳から子に移行すると指摘される中、汚染油を摂取した68年に胎児だった五男は今も未認定で、カネミ倉庫の医療補償を受けられない。「妻のおなかの中でカネミ油を食べたようなものなのに」。認定制度の大きな矛盾。三男や四男は頭痛やふらつきといった症状でこれまでに休職や入院を余儀なくされており、いつまた大きな病に侵されるか分からない。

 「カネミ倉庫はこれ以上頼れない。国を動かし、油に混じったポリ塩化ビフェニール(PCB)を作ったカネカにも賠償させないと」。だが運動を続ける力はもうない。「これからは、若い人が一生懸命頑張ってくれると思いますから。私には、救済されるよう祈ることしかできないんです」

 ■平均67.4歳

 長崎県生活衛生課によると、長崎県内在住の油症認定患者は461人(3月末時点)。五島市が278人で最も多く、長崎市の129人が続く。県内患者の平均年齢は67.4歳で年々高まっており、被害者団体の運営も岐路に立たされている。

 「役員として活動するのは若くても60代。50代以下はほぼいない」。カネミ油症被害者五島市の会の旭梶山(あさひかじやま)英臣会長(68)は、厳しい状況を語る。

 同会の玉之浦分会では、分会長を十数年務めた男性(89)と理事の男性(85)の2人が、健康問題を理由に4月下旬の本年度総会をもって退任。事前に退任の申し出を受けた旭梶山会長らは、玉之浦地区の70代男性に新分会長への就任を依頼。男性は当初、慎重だったが、最終的には「誰かがやらないと会の活動が進まない」と引き受けた。

 国や加害企業との交渉において、重要な役割を果たす被害者団体。旭梶山会長は「役員になると何かと表に出ざるを得ない。本人が油症を隠していたり家族の反対を受けたりすることも多く、新役員を探すのは相当に難しい」と明かす。

 ■2世は潜在化

 一方、長崎市油症患者の会の代表は、2年ほど前から油症2世の46歳男性が務めている。生後間もなく油症認定。子や孫といった「次世代」の大半が公的に認定されていない中、当事者として声を上げられる数少ない1人だ。

 だが、会は存続自体が危うい状況。定期的な会合や会員名簿はなく、男性の母親が知り合いの高齢被害者に時折電話をかけ、日々の状況を尋ねる程度。会費も集めていないため、国、カネミ倉庫、被害者団体の3者協議が開かれる福岡市までの旅費などは、ほぼ自費だ。

 加えて男性は、県内の油症2世、3世との接点がほぼない。油症は次世代の健康への影響が指摘されるが、当事者は働いたり子育てをしたりしている最中で、加えて差別と偏見を恐れており、潜在化。次世代被害者同士が連携したり支え合ったりするような状況にはない。

 ◎消極的な国、加害企業 膠着する3者協議 被害者は全国組織で交渉へ

 カネミ油症被害者が、国、カネミ倉庫(北九州市)と救済策などについて意見を交わす3者協議は、救済法に基づき2013年から年2回開催されている。当初は本格救済に向けた期待感もあったが、国と同社は被害者の要望を受け入れず、膠着(こうちゃく)状態が続いている。

 協議は2013年6月から、計13回開催。12年成立の同法では大枠の基本方針のみを示しており、具体的な救済策は3者協議の場で検討することになっている。

 これまで被害者側は、ダイオキシン類の血中濃度に主眼を置く診断基準が、油症2、3世を含む未認定患者の救済を阻んでいるとして、国に見直しを要求。同社にも医療費の支払いに関する協定書の作成など、安定的な医療補償体制の確立を求めてきた。

 他にも要求は多岐にわたるが、国は基準見直しなどに消極的で、前向きな回答はない。同社も「経営難」を理由に要求を拒否し続けている。被害者らは原因物質のPCBを製造したカネカにも協議への参加を求め続けているが、実現していない。3者協議の回数を重ねるごとに、被害者の失望は増している。

 「進展したことと言えば、国とカネミ倉庫がお茶を濁すやり方しかしないことが、分かったことくらい」。全国の被害者団体のまとめ役の1人、カネミ油症被害者福岡地区の会の三苫(みとま)哲也事務局長(49)は、皮肉まじりにそう語る。

 一方、全国の被害者が協議のたびに顔を合わせて議論する中で、「横のつながりや連携ができた」という効果も。今年1月には、被害者13団体の要望や見解を取りまとめる全国組織「カネミ油症被害者連絡会」の設立につながった。全国的な被害者の高齢化や団体運動の衰退が設立の背景としてある。

 連絡会は今後、役員を決めるなどして活動を本格化させる。6月下旬の次回3者協議前には、被害者を支援する全国の大学の研究者や医師らを交えた意見交換会を開催予定。油症の研究や診断基準の設定などを公的に担う唯一の組織「全国油症治療研究班」(事務局・九州大)とは異なる新たな知見も取り入れ、救済の進め方を模索する。

 三苫さんは「連絡会としての運動は緒に就いたばかり。支援してくれる有識者とのつながりを強固にし、国やカネミ倉庫、カネカとの交渉を前に進めたい」と話す。

空席が目立ったカネミ油症被害者五島市の会玉之浦分会の本年度総会。役員のなり手不足は深刻だ=五島市玉之浦町