フリーダイビング世界新記録を樹立 木下紗佑里さん 失敗も受け入れてみて

2019/02/17 [11:00] 公開

 呼吸(こきゅう)をするための器材を一切使わず、深い海へと潜(もぐ)っていくフリーダイビング。昨年7月、その世界大会のフリーイマージョン種目で、世界新記録を樹立(じゅりつ)した大村市出身の木下紗佑里(きのしたさゆり)さん(ウォーターメイツスイムクラブ長崎)にお話を聞きました。

 昨年7月、バハマであった世界大会「バーチカルブルー2018」。ロープを引っ張(ぱ)りながら潜るフリーイマージョン種目で97メートルを出し、世界新記録を樹立しました。86メートルだった自己(じこ)記録を大幅(おおはば)に更新(こうしん)。どちらかというと好きではない種目で出せて、とてもうれしかったです。総合(そうごう)でも準優勝(じゅんゆうしょう)できました。
 両親がスイミングスクールをしていて、ずっと水泳をしていました。小中学生のときは人見知りで、話すのが苦手。高校時代に英語を勉強し、「気持ちは人にきちんと伝えなきゃ」と考えが変わりました。
 フリーダイビングと出合ったのは24歳(さい)。スキューバダイビングの雑誌(ざっし)で、フリーダイビングの特集を目にしました。日本の女の子が紹介(しょうかい)されていて、面白そうだなって。すぐにプールで体験してみました。
 すると、初めての感覚。苦しいイメージだったのに、心地よかった。「自分がどこまで潜れるのか」と興味(きょうみ)を持ちました。体験してみて、違(ちが)う世界が広がりました。仕事を辞め、ダイビングに集中する環境(かんきょう)をつくりました。
 足ひれを着けず、体一つで潜るコンスタントノーフィン種目が一番きついけど、一番好き。始めて3年、その種目で世界記録を出そうと練習していたとき、酸欠(さんけつ)で気を失うブラックアウトを経験(けいけん)しました。大会は2カ月後。受け入れるのに時間がかかりましたが、自分の体に「怖(こわ)い?」「どうする?」と聞き、潜りたくなる状態(じょうたい)まで待ちました。再(ふたた)び潜れたのは大会の公式練習でしたが、思ったよりいけた。本番では72メートルまでいけ、見事世界新記録(当時)が出せました。
 以前はうまくいかないとき、逃(に)げ道を考えていた私(わたし)。でも今は、どんな感情(かんじょう)なのか、どう思っているのか、嫌(いや)だと思うのも今の自分と思えるように。フリーダイビングを始めて、自分と向き合えるようになりました。今や予想外のハプニングが起きても、楽しめるようになれたんです。
 経験を通して言えるのは、みんなもわくわくすることをやるというのが一番。人にやらされるのではなく、自分でわくわくすることを見つけて動けば、びっくりするようなことが起きる。失敗や避(さ)けたいものも、受け入れられたら世界が広がる。そう思います。
 大会などで海外を転々としていますが、長崎は私の帰る場所。オリンピックや国体種目ではないのに県民表彰(ひょうしょう)されるなど、他県の選手はしてもらえないことをしてもらっている。頑張(がんば)っていることを認(みと)めてくれる県。県民であることを誇(ほこ)りに思います。
 今年は全3種目で世界記録を出したい。誰(だれ)かのを塗(ぬ)り替(か)えるのではなく、常(つね)に自分の記録が世界記録で、それを塗り替えられるように頑張りたいです。

 【プロフィル】きのした・さゆり 1988年12月31日生まれ。大村市立富(とみ)の原小-市立桜(さくら)が原中-県立諫早(いさはや)商業高-日本女子体育大。埼玉(さいたま)でスイミングスクールのコーチをした後、2013年フリーダイバーに。15年、世界選手権(けん)でアジア人初の優勝(ゆうしょう)。「バーチカルブルー」では2度の優勝を果たしている。

ロープをたぐり、深い海へと潜っていくフリーイマージョン種目(木下さん提供)
「体一つで潜っていくことにドキドキわくわくする」と話す木下さん=大村市、ウォーターメイツスイムクラブ長崎