「選択的夫婦別姓へ力」女性初の日弁連会長・渕上玲子さん 【インタビュー】

2024/05/03 [11:11] 公開

 女性初の日弁連会長に就任した西海市大島町出身の渕上玲子さん(69)。任期2年で課題や女性会長として意識すること、古里への思いなどを聞いた。

 -力を入れたいことは。
 選択的夫婦別姓制度の導入。選択的という点で極めて公平。法制審議会は四半世紀前に導入を答申したにもかかわらず、反対意見が多く、国会での議論が進まない。しかし今年に入り、経済団体が「女性の不利益につながる」と声を上げるなど、実現に向かうよい時期に来ている。ぜひ法改正に結び付けたい。

 -災害時の被災者支援にも力を入れている。
 (1995年の)阪神大震災後の被災地や支援の動きを目にし、大規模災害には電話相談が有効だと実感した。(2011年の)東日本大震災直後、東京の弁護士会による東日本大震災電話相談を主導した。今後も災害法制に関して不十分な部分への提言を続ける。被災者ごとに被災状況は違うということを意識して弁護士の役割を果たしたい。

 -これまでの仕事で男女差を感じたことは。
 弁護士になった当時、男性はあっという間に就職が決まり、独立して大勢の顧客がいた。中小企業の社長らは女性弁護士を使おうとしなかったため、顧問を獲得するのは難しかった。商法に強くならねばならないと思い、女性だけで集まって勉強会をしたこともあった。

 -女性会長として意識することは。
 東京弁護士会の会長時代は「よい評価を得なければ、自分以降の女性会長の道を阻んでしまう」との思いから、周囲に「私は失敗できない」とよく話していた。今はそれよりも女性活躍への思いが強い。弁護士人口を見ると、女性の割合は弁護士登録をした1983年は4.2%だったが、今年ようやく20%を超えた。組織がしっかりしている裁判官や検察官と違い、日本は弁護士などのフリーランスへの保護が不十分。中小の事務所で働く女性弁護士を支援するなど、法曹界の意識も変革しないといけない。

 -これまで携わった裁判で印象に残っているものは。
 キャリアを重ねる中で、ドメスティックバイオレンス(DV)被害女性の離婚調停を担当した。夫から殴られ血だらけになった写真は脳裏に焼きついており、どうすれば女性と子どもを守れるか、ずっと考えていた。

 -古里の思い出は。
 当時は炭坑の町だったが、現在は造船の町。一昨年、友人と訪れると、島と本土を結ぶ橋が架かっていたり、統廃合で学校がなくなっていたりした。だいぶ変わったなと思ったが、数十年ぶりで感慨深かった。

 -長崎の若者にメッセージを。
 長崎は開放的な県民性だと思う。過去の歴史においても国際的に開かれた場所だったし、私が大島で生まれ育ったのも父が働きに来ていたから。そういう意味で非常に自由で開かれている場所。これを生かし、グローバルにでも活躍できる人材になってもらいたい。