遺書に書いたのは「決意」 大村の看護師・土本さん 度重なる病乗り越え復職…見つけた目標

2024/04/07 [11:50] 公開

卵巣がんを患い治療に励んでいた当時の土本さん(本人提供)

 卵巣がんや肺アスペルギルス症-度重なる病魔を乗り越え、医療の現場に立つ看護師がいる。長崎県大村市の土本彩香さん(34)。「病気のことを知ってもらい、誰かの希望につながれば」-との思いで、長崎新聞の双方向型情報窓口「ナガサキポスト」に体験を投稿してくれた。患者として何度も生死の瀬戸際に立ったからこそ、病気に苦しむ人たちに「もう一度前を向いて生きてほしい」と願っている。

◆急転

 2016年1月、腹部に突き上げるような激痛が走った。26歳の冬、新しい職場で仕事に精を出そうとしていた時だった。だが、病院を受診しても特に異常はない。高熱が出たり、食欲不振になったりしても、看護師の仕事を続けた。事態が急転したのは同年4月。別件で婦人科を受診した時だった。

 「悪性のがんの可能性がある」。医師の告知に、子宮摘出の恐れが脳裏をかすめた。仕事は休職したものの、考えるのは病気のことばかり。死の恐怖より、子どもができなくなるのではという悲しみが迫った。腹水がたまっており、同月下旬には入院して緊急手術に及んだ。そこで医師は、腹内に腫瘍を見つけた。

 明日家族を呼べるか-。医師の言葉で悟った。看護師としてさまざまな患者を診てきた。これから何が起きるかだいたい予想は付く。その夜、病室のカーテンの内側で涙があふれた。すると、受け持ちの看護師が病室に現れた。「明日悪い結果を言われると思う」と泣きじゃくると、黙って寄り添ってくれた。

 翌日、家族の前で医師は卵巣がんを告知した。それも、極めてまれな胚細胞腫瘍だった。不器用な父と気丈な母もその場で凍り付いていたのが、余計につらかった。一人になりたい。病室に戻らない土本さんの元を看護師や医師が訪れ、じっくり話を聞いていた。

 同年5月、抗がん剤治療が始まる日。東彼東彼杵町の実家を後にする時も父は何も言わなかった。母が運転する車が発進する。背後の実家が少しずつ遠ざかる中、携帯電話が鳴った。父からだった。「お前はラッキーだから大丈夫だ」。思わぬ言葉に肩が震えた。

◆死を覚悟したのに

 多量の抗がん剤を投与する治療の副作用は過酷だった。強烈な吐き気。携帯電話の画面を見るのも気持ちが悪く、目が開けられない。お見舞いで家族が来ても会話ができなかった。抗がん剤治療の繰り返しで免疫は低下。治療を終えたころに、死に至る可能性がある肺アスペルギルス症という肺炎を患った。

 止まらないせきに高熱。「今の体力ではさすがにもう生きられない」と思った。

 家族に遺書を記そう。そう思い、病室で筆を執った。だが、不思議と浮かんでくるのはこれから先の目標ばかりだった。

 卵巣がんで入退院を繰り返して以来、受け持ちの看護師のケアが心に染みていた。寄り添って泣いてくれたり、自分が寝ている時は「一緒に頑張ろう」とメモを書き残してくれたり。その姿に感謝しつつ、自身のこれまでの仕事を振り返った。もしかして、日々の業務をこなしているだけだったのではないか。あんな風に患者への関わりを大切にしていただろうか。

 現場に戻りたい-。生死の境で握ったペンは「元気になったら頑張りたい」という決意をつづっていた。

 体重は一時30キロ台まで落ち、髪の毛も全て抜けた。懸命に治療とリハビリを続け、復職を諦めなかった。1年半後、一定回復し再び現場に戻ることができた。

◆動かない体 

 しかし2022年、再び重病を患った。気付いた時には左足が動かず、そのうち右足も思うように動かせなくなった。進行は急だった。這(は)うように生活し、便座にも上がれない。夫の洋佑さん(33)に支えられながら救急車で病院へ搬送された。

 診断名はギラン・バレー症候群。10万人に1人と言われる病気で、全身のまひが進行すると呼吸さえ難しくなる。食べ物が食べられず、寝返りも打てない入院生活が続いた。

 治療をして1カ月後に退院したが、車いすが必須だった。70代になった両親に苦労をかけることに負い目を感じた。この先、動くようになるのだろうか。先を見通せない不安が襲った。

 そんな車いす生活で気付いたことがある。周囲の冷たい目線がいかにつらいか。そして、ささやかな親切がいかに身に染みるか。「バリアフリー」は環境整備も大事だが、それ以上に周囲の人の心持ちで障壁は軽減できると痛感した。

◆一番の理解者

 昨年6月、リハビリを経て大村市内の病院に復帰した。あの時の受け持ち看護師の姿は今でも理想として心の中に残り続けている。そして、ギラン・バレーを経て「患者自身の希望を見据えた援助の大切さ」がはっきりと分かった。

 時に誰よりも患者のニーズに応え、時に誰よりも患者を鼓舞する。そんな姿勢に過酷な闘病経験が生きている。人一倍、一緒に喜び、笑い、怒り-。ある時、患者にこう言われた。

 「あなたが一番の理解者です」

 土本さんは昨年、リハビリを兼ねてパソコンで自伝をしたためた。自分が生きる意味をかみしめるように。その最後にはこうつづった。「生かされている今に感謝しながら、これからも生きていく」

病気を乗り越え看護師として復職した土本さん(右)。夫の洋佑さん(左)との日々を大切に過ごしている(本人提供)