川口 一由
川口 一由(81)
川口一由さん(81)
入市被爆
=西彼長与町吉無田郷=

私の被爆ノート

静かな声で「長崎全滅」

2014年7月24日 掲載
川口 一由
川口 一由(81) 川口一由さん(81)
入市被爆
=西彼長与町吉無田郷=

洗切国民学校(現在の西彼長与町立洗切小)6年だった。開墾され小麦やサツマイモが植えられた運動場で、友人約20人と農作業をしていた。

もう少しで小麦を干し終えるところだった。突然、強い光が目に飛び込んできた。数秒後、激しい熱風が吹き寄せる。校舎のガラスが音を立てて割れていく。「みんな伏せとけ」。5年生のリーダー格の男子が叫んだ。校舎横の溝に隠れ、再び目と耳を両手でふさいだ。結局、次は来なかった。「熱かったね」「何だったんだろうね」と話しながら農作業を続けた。

帰り道、その光景に目を疑った。山を越え、長崎の方からぞろぞろと歩いてくる人たち。ほぼ全裸で、肌は赤や黒に焼け焦げていた。皮膚が垂れ下がっている人もいた。「長崎は全滅ですよ」。憲兵に聞こえないくらいの静かな声が聞こえた。

長与の自宅に帰るなり、2歳上の兄定一の安否が心配になった。学徒動員で浦上で保線工をしていた。姉と二手に分かれ、捜しに走った。岩川町の方まで来たが兄の行方は分からなかった。ただ、たくさんの人や家畜が死んでいて、鉄筋コンクリートの骨組みさえ、並ぶように倒れていた。

再び自宅に戻ると、「(川平町の)赤水平にいる」という兄の伝言を誰かが伝えてくれた。近所の人と3人で急いだ。道端に兄がいた。帽子をかぶっていた部分は髪が残っていたが、あとは肌が黒く焦げ、下半身にはこうもり傘の布を巻いていた。立つ気力はなく、虫の息。「爆弾が落ちてみんな死んだ」

連れ帰ったが、水も食べ物も欲しがらなかった。うじが湧き、やけど治療の石灰水にまみれた体で、話だけはたくさんした。父が残した借金を気遣い、「すまん、すまん」と言っていた。

翌朝、兄の同級生2人が様子を見に来た。話し続け、2人が玄関を出た直後、もう兄の息はなかった。

<私の願い>

国同士の付き合いもあり難しい面もあるだろうが、それでも平和憲法は守ってほしい。戦争や原爆は絶対に繰り返してはいけない。当時は読み書き、そろばんも満足にできず、本を読みたくても本がなく、勉強したくてもできなかった。今の子どもたちには、やりたいことを十分にやってほしい。

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