長崎の社会/経済/スポーツ/文化のニュースをお届けしています

私の被爆ノート

懇願の目 離れぬ後輩

2015年2月26日 掲載
溝上 貴信・上(87) 溝上貴信さん(87)
爆心地から1・2キロの長崎市茂里町で被爆
=西彼長与町吉無田郷=

当時、旧制鎮西学院中付設科2部の17歳。学徒報国隊として三菱兵器製作所茂里町工場の2階で、魚雷に取り付ける深度を測る機器を2学年下の林田治君と一緒に作っていた。二つの作業台の間で、手に付いた金属の粉などを油で洗い落としている時。

突然、目の前が白く光った。とっさに目と耳をふさいでうずくまった。体が激しく動き、直撃弾を受けたと思った。揺れが収まり目を開けると、土煙で薄暗く、しんとしていた。いくらか見えるようになると、2階の床が1階床に1メートルほどまで崩れ落ち、2階の天井はなくなっていた。

1階に飛び降りてみると、年配の男の工員が近寄ってきた。ただ、他に人の声や気配はなく、僕が「上がってみようか」と言ったら、工員は「上がろう」と返事をした。再び2階に上がったが、気が付くと工員はいなくなっていた。

急に左足首を血だらけの手につかまれた。がれきに埋もれた血まみれの女の頭が隙間から見えたが、何も言わない。がれきをどけてやると感謝の言葉もなく、そのままどこかへ行ってしまった。

われに返り、林田君の名前を何度も呼んで捜した。元いた付近を見て回ると、林田君は頭が万力の下敷きになっていた。万力をどけると頭の一部が割れていて、骨のような白いものがのぞいていた。気絶していたらしく、揺するとかすかに動いた。がれきをどけると、全身の皮がべろべろにはげてぶら下がり、まるでおばけのようだった。

だが林田君は不思議なほど元気だった。2人で1階に下りると、女学生3、4人が駆け寄ってきて僕に「あなたの名前を呼んで助けてくれと言っている人がいる」と話し掛けてきた。それを聞いた林田君は僕に、「男を見捨てて女を助けに行くのか」と言ってきた。後輩が何様だと思って林田君を見ると、何とも言えない懇願するような目でこちらを見ていた。今でもあの目は忘れられない。

長与の自宅に帰ろうと外に出ると、ほとんどの建物が崩れて道路がふさがっていた。穴弘法山の方へ迂回(うかい)したが、途中には焼けただれた人、皮膚が垂れ下がった人、「水をください」と言う人…。男女の区別さえつかないような人たちの地獄の惨状を至る所で見た。

林田君は僕にぴたりと付いてきた。僕が逃げるとでも思ったのだろうか。

ページ上部へ