自宅で紙芝居の制作をする三田村さん。子どもたちからもらった感謝の手紙は宝物だ=長崎市内

自宅で紙芝居の制作をする三田村さん。子どもたちからもらった感謝の手紙は宝物だ=長崎市内

ピースサイト関連企画

被爆・戦後75年 静子の紙芝居 思い託されて・6 【息子】誇り 母しかできない

2020/08/05 掲載

自宅で紙芝居の制作をする三田村さん。子どもたちからもらった感謝の手紙は宝物だ=長崎市内

自宅で紙芝居の制作をする三田村さん。子どもたちからもらった感謝の手紙は宝物だ=長崎市内

【息子】誇り 母しかできない

 紙芝居の語り部として活動する三田村静子(78)は、世界中で被爆体験を伝える非政府組織(NGO)ピースボートの「証言の航海」に2度参加。ギリシャやベトナムなどで語ってきた。日本語は分からないはずなのに、目の前には涙を浮かべる聴衆。平和を願う思いに国境はないと実感した。
 静子は紙芝居活動の傍ら、ライフワークとしての観光ガイドや食育活動にも精を出す。スケジュール帳は常にびっしりだ。本来なら夏は特に多忙だが、今年はコロナ禍で活動が減少。「夏がなかなか来ないわね」と残念がった。
 せわしなく動き回る姿に「10年前、娘に先立たれ、そのことを考えないよう、たくさん予定を入れてきたのかなと」。長男真理(しんり)(46)の目にはそう映っていた。
 小学生のころ、図書館で見た漫画で原爆の悲惨さを知った。家に帰り、母に体験を尋ねた。後にも先にもこの一度だけだ。返ってきたのは「小さいころの話だから。おばあちゃんに聞いてみて」。
 娘へのいわれのない差別や偏見を恐れ、多くを語ってこなかった祖母もまた、口を閉ざした。2人の様子に、聞いてほしくないことだと子ども心に感じとった。
 真理は今、高齢者の命を預かる福岡の介護施設で働く。看護師としての母は写真の中でしか知らなかったが、「人に優しくする人になりたい」という“DNA”は受け継がれていた。
 施設では、前日まで元気だった利用者が突然亡くなったり、骨折し寝たきりになり、日々弱っていく姿を目にしたりもする。新型コロナウイルス問題で人々があらためて感じている「命の重み」。悔いなく生きる大切さを考えさせられている。
 母の生き方をどう思っているのか-。記者の問い掛けに考え込み、言った。
 「まだいろんな悲しみを引きずっていると思う。今は子どもたちに語ることを生きがいにして…、頑張って生きてると思います」
 帰省のたび、紙芝居を作る姿を目にする。2、3時間のガイドを1日に3回こなしたという話も聞いた。何度も手術をし、体は丈夫じゃない。でも周りに求められれば、無理を押してでも応えたい、そんな性格も知っている。心配する半面、「母にしかできないこと」。そう誇らしくも思っている。
(文中敬称略)