言葉を超える力 原爆写真 深堀好敏の軌跡 6

米ワシントンのアメリカン大で長崎原爆の写真を解説する深堀さん=2015年6月14日(深堀さん提供)

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言葉を超える力 原爆写真 深堀好敏の軌跡 6 時間超え 実相近づく

2017/07/25 掲載

言葉を超える力 原爆写真 深堀好敏の軌跡 6

米ワシントンのアメリカン大で長崎原爆の写真を解説する深堀さん=2015年6月14日(深堀さん提供)

時間超え 実相近づく

 日米の調査団が被爆から2カ月後に撮った長崎の写真の多くを、深堀好敏(88)は「復興写真」と捉えている。本当の意味での「原爆写真」は「山端写真だけ」だという。

 旧陸軍カメラマンだった山端庸介は、原爆投下翌日の1945年8月10日未明の3時に長崎に入った。約14時間を掛けて120枚以上撮影したという。焼死体が点々と転がる廃虚のまち、爆風で吹き飛ばされた電車、炎天下で救援を待つ負傷者-。凄惨(せいさん)な情景をくっきりと残すこれらの写真を、深堀は「長崎の宝」と表現する。

 深堀は2015年6月、広島、長崎両市が米ワシントンのアメリカン大で開いた「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」で、長崎原爆の写真を解説。スクリーンには山端写真を映し出した。「身を乗り出してじっと見つめたり、むごさに目線をそらしたり、涙ぐんだり。壇上で話していると米国人の反応がよく分かった」

 解説を終えると、同行していた広島市の職員がぼそりと言った。「『長崎はいいですよね。山端写真があるから』って。広島には被爆直後の写真があまり残っていないからだろうね」

 山端写真の中でも「象徴的」だと語るのが「黒焦げの少年」だ。「普通、人が死んだら白い骨になる。一瞬のうちに黒焦げで死ぬなんて、写真を見ないと一般の人は想像ができないですよ」

 忘れられないエピソードがある。15年7月、長崎市立図書館で開いた写真展に高齢の姉妹2人が訪れた。「黒焦げの少年」を見て「兄に間違いない」と名乗り出た。確かに、生前の写真と目元あたりがそっくりだった。「写真がほしい」と言うので、深堀は写真を保管する山端庸介の長男に宛てて、2人に手紙を書かせた。後日、写真が送られてきて2人は満足そうだった。

 だが深堀はそれでは終わらなかった。「歴史的に価値がある写真。『黒焦げの少年』が本当に2人の兄なのか科学的に立証する必要があると思った」。「そこまでしなくても」と言う周囲の声にも耳を貸さず、識者を探し出し自腹で鑑定を依頼。16年春、2人の兄である可能性が高いとの結果が出た。71年という時間を超え、被爆の実相に一歩近づいた。写真調査の醍醐味(だいごみ)だった。

 深堀はあと2年で90歳になる。体力の衰えを感じており、いつまで今の活動ができるか分からない。山端が生誕100年を迎える今年8月、一つの区切りとして山端の写真展を開催する。=敬称略=